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残暑が漂う校庭は、湿気を纏った空気がベタベタと肌に張り付いて気持ちが悪い。太陽はこれでもかというくらい私達を照らしていて、あと少し校庭の中心にいたら丸焦げになってしまうところだった。
「暑っ、マジで、暑っ」
私達は口々にこの暑さに文句を言って、校庭の端っこに立っている木の影に避難する。
こんな日に限って、体育の授業は外で百メートル走のタイム測定だった。炎天下の中で全力疾走させるなんて、この学校の体育教師は本当にどうかしている。走り終わった生徒はまるで何かから逃れるように、校庭の端っこの木陰に避難していく。
「あ、ほら、なずな、礼央が走るよ!」
桃にそう言われて視線を男子の方にずらすと、まさに礼央が屈伸運動をしながらスタートラインに立つところだった。サラサラとなびく茶色の髪、スラリと伸びた長い足は、この炎天下の青空に妙に映えていた。礼央がスタートの構えをすると、私以外の女子も視線を彼に合わせる。スタートの合図と共に走り出した礼央は長い手足を素早く動かして、一緒に走った男子に大差を付けてゴールをした。その姿を見て、数名の女子が「やっぱ、かっこいいね」と、色めき立っている。確かに礼央はかっこいい、カッコイイけど。私は絶対にカッコイイなんて言ってやらない。そんなこと言ったら、あいつは調子に乗る。
「なずな、どう?俺、早かったでしょ?」
額に大粒の汗を光らせて、私に礼央が近付いてくる。
「別に。普通じゃない?」
「いやいや、早かったよ!十一秒後半よ?なかなかじゃない?」
「十秒切らないとオリンピックは無理だよ」
「オリンピックは目指してねーわ、さすがに」
鼻をヒクヒクさせながら笑う礼央に、胸の奥がギュッと熱くなっていく。心臓がヒリヒリと痛むのは、暑さのせいだと思いたい。どうしてもっと可愛く返せないのだろうか。これがずっと好きな人に対する態度か。我ながら嫌になってくる。私の気持ちなんて全然知らないであろう礼央は、まるで男友達に接するように、隣で冗談を言って笑っている。
そんな風に礼央と話しながら木陰で残りのタイム測定見ていると、ふと視線を感じた。気配を辿って左斜め後ろを見ると、そこにはクラスメイトの稲葉さんが立っていた。稲葉さんの視線の先には、楽しそうに笑う礼央の姿。彼女は無表情で、礼央をじっと睨みつけるように見つめていた。
そんな彼女と一瞬目が合ったかと思ったら、私の視界からすっと消えていった。何が起こったのか分からなかった。まるでその瞬間だけ、時間が止まったようだった。気付いたらドサッと鈍い音が辺りに響いて、稲葉さんは熱い校庭の砂に吸い込まれるように倒れ込んでいた。
「稲葉さん⁈大丈夫⁈」
「先生、稲葉さんが倒れました!」
近くにいたクラスメイトが大声で騒ぐ。その声で私はようやく何が起こったのか理解できた。
「と、とりあえず保健室!」
誰かがそう叫ぶと、
「俺が運ぶ」
と、いつの間にか隣にいたはずの礼央が、稲葉さんに手を伸ばしていた。そのまま軽々と持ち上げてお姫様抱っこをすると、礼央は保健室へ淡々と歩いていく。まるで映画のワンシーンのようで、礼央はヒロインを助けるヒーローそのものだった。ヒロインは当たり前だけど、私じゃない。でも稲葉さんも何か違う気がした。礼央から置き去りにされた私は、黒い感情がフツフツと湧き上がってきて苦しかった。さっきまであんなに暑いと思っていたのに、自分の身体が嫉妬で冷たく冷え切っていくのを感じた。
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