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あの日抱き締められたのは、一体何だったのだろう。共に部長を務めた私への、ただの労いだったのだろうか。今でもあの時のことを時々考えてしまうけど、今更抱きしめた理由なんて聞けるはずがなかった。
部活を引退して受験勉強している時も、同じ高校に合格した時も、礼央はまるで何も無かったかのように、男友達のように私を扱った。
「なずなは同じ中学で、男友達みたいなもんだから」
高校に入学してすぐの頃。礼央は私達の仲の良さを、そんな風にみんなに説明していた。
なずなは礼央にとって恋愛対象ではない。
それがみんなに刷り込まれているらしく、どんどんかっこよくなっていく礼央と私が仲良くしていても、女子から嫉妬されることは無かった。もっとも礼央自身が事ある毎に、なずなは女としてナイとか、男勝りだとか言っているからだろう。つまり私だけがいつまでも、叶わない想いに苦しんでいるのだ。
「今日の体育、雨だから体育館でフォークダンスの練習だって」
クラス委員の男子が大きな声で、教室中に言いふらす。午後になってから雨はさらに強さを増し、大きな音を立てて校庭の砂やアスファルトを打ち付けていた。五時間目の体育は校庭で体育祭の種目別の練習予定だったのだが、雨のため体育祭で踊るフォークダンスの練習に切り替えられた。
私達の高校には昔から続く、「南高ダンス」という伝統的なフォークダンスがあった。これは戦後すぐに開校した南高校・通称南高が、もうこれ以上戦争のような悲しい争い事が起こらないようにと、平和への願いを込めて作ったダンスらしい。最初は平和への願いを込めて男女が手を取り合って踊るダンスだったが、昭和の後半頃になると愛のダンスと呼ばれるようになり、好きな人と踊ればその恋は実を結び、二人は永遠に幸せになれると言われるようになった。踊る相手も、十年ぐらい前までは生徒達自身で自由に決めていたらしい。しかし現在は、ダンスが原因で男女の争いが起きたり、踊る相手がいない子が仲間外れになることを避ける為に、出席番号順でペアを組むことになっている。ダンス自体を無くしても良いのではないかという意見もあったらしいが、高校の大切な伝統だからと、今では代表して毎年二年生だけが体育祭で踊ることになっていた。
「なずな、俺の足を引っ張らないようにちゃんと踊れよ?」
「何言ってるの、それはこっちのセリフですー」
私のペアは有難いことに、礼央だった。私達は「まつたに」と「まゆずみ」なので、いつも出席番号順になると前後で並ぶことが出来た。
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