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chapter⑬
暑い夏が過ぎて木々が赤く色づいてくる。
兄の康孝から連絡がきた。用件は姪っ子の美羽ちゃんが慎文に会いたがっているから家に来ないかという内容だった。
あの一件から実家から追い出された慎文は、完全に札幌で和幸と暮らしていた。けれど、実家への説得は諦めずに休みを見計らっては和幸と一週間に一度、土日を使って訪問していたが門前払いだった。
当然親戚に会う許可も得られていないため、兄とは勿論のこと姪っ子にも会えていない。
連絡を受けた時は、兄とも自分の幸せの在り方で相違な意見であっただけに会うことに躊躇した。しかし、姪が会いたがっているともなれば断るわけにもいかない。
和幸は仕事で長期の休みを取ることができなかったので、慎文一人で電車に乗って地元へと帰省した。
到着したのはお昼過ぎ。駅舎に降り立つと見慣れた灰色のワゴン車が見えた。兄、康孝の車で間違いないだろう。
慎文は車を目指して近づくと、暫くして康孝が運転席から降りてきた。
「よぉ、おかえり」と手を挙げて挨拶してきた兄のぎこちなさに、慎文も伝
染して「ただいま」と返した以降会話が続かなかった。
兄に促されて車に乗り込んだものの、沈黙は変わらない。
「慎文、そっちはどうだ?」
「ぼちぼち……」
車内の重たい沈黙を破ったのは兄の方からだった。所詮、会話の糸口に過ぎないと分かっていても、兄が自分たちの交際について現状ではどう思っているのか分からないだけに曖昧に答えるしかなかった。
和幸とのことは今の矢木田家には腫れ物に触るような、触れることを許されないような話だから……。
「兄さん、美羽ちゃんは?」
続かない会話の中で流れる沈黙に耐えられずに、とうとう慎文の方から本来の目的である姪っ子の話題を振った。
「もう幼稚園から帰ってきてるよ。お前に会いたがってたぞ。相当大好きなんだな。パパよりもお前に会えることの方が嬉しがるから参ったよ」
「うん、俺も久しぶりの美羽ちゃん。楽しみだよ」
眉を下げて苦笑を浮かべる康孝に慎文は頷く。
地元にいたときは、ほぼ毎日会っていた康孝の一番下の姪っ子。
唯一心残りと言えば、慎文自身も大好きな姪っ子に何も告げることなく札幌へ行ってしまったことだった。
「慎文、家に行く前にちょっと寄り道していいか?」
「うん……」
エンジンが掛かり、駅から出発した車は道路に出て暫くしてから康孝に問われた。
積もる話がないわけではないが、連絡を受けた時から何となく、兄の目的は慎文と話をすることであることは勘づいていた。
美羽ちゃんが会いたがっているのは本当だろうけど、兄が自分と話したいが為の口実。慎文は康孝の提案を受け入れ、静かに頷いた。
目的地に到着するまで会話はなく、窓の外を眺めていると見慣れた平地を走行していることに気づく。暫くして赤い屋根の牛舎が見えたとき、そこが実家の農場であると分かったのはすぐだった。
久しぶりの一面緑に囲まれた景色や牧草、牧場の独特の匂いに感極まる。到着して車から降りた時には、兄と気まずい空気であったことを忘れて、足早に牛舎の隣にある小屋を目指していた。
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