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エピローグ
「慎文さん、嬉しそうですね」
雪が降り始めた十二月二十五日の今日は、世間でいうクリスマス。そのこともあってかお店は花束を買いにくるお客さんがたくさんいた。きっと自宅やレストランなどでそれぞれの大切な人と共に過ごすのであろう。
昼を過ぎた頃、客足も落ち着き、店内の片付けしていると店長の大藪百合さんの息子である葵くんに話し掛けられた。
「葵くん、分かる?今日さ、僕にとってとっても特別な日なんだよね」
御客さんが花束を受け取りに来るたびに胸が鳴って、嬉しさを隠せずにいた。それを自分よりも一回りほど年下の高校生の葵くんに頬の緩んだ表情を見せてしまっていたと思うと恥ずかしいが、この胸の高鳴りを誰かに話して分かち合いたい気持ちもあった。
「そういえば、慎文さんってクリスマスが誕生日でしたっけ?」
「うん、もちろんそうなんだけど。大切な人と約束してるから、楽しみなんだよね。見苦しくてごめんね、こんなオジさんの緩み顔」
眉を下げて自虐的に笑いかける。二十代最後の年とはいえ、高校生の彼からしたらおじさんの粋であろう。
和幸と過ごしていたら自分が甘えてばかりで年齢など気にすることはないのだが、改めて口にして自分も人の上に立つ人間になったのだとひしひしと感じる。
「いいえ、幸せそうな人の顔を見るのは僕も嬉しいですから」
「またまた……」
「慎文さん」
優しい葵くんの返答と、この後の約束を思っては微笑みながら店内の作業をする。ふと、葵くんに呼ばれて顔をあげた。
「そんなに大切な日なら早めに上がってください」
「そんな悪いよ……、ただでさえ僕のわがままで早めに上がらせてもらえてるのに……」
今日は大切な日だから閉店の18時より2時間早めに上がらせえもらえるように、店長の百合さんに予め相談していた。現在は午後三時、定刻よりも一時間早い。 気持ちが先走って、時間を気にしていることに気づかれてしまったのか、葵君の気遣いに嬉しい反面、申し訳ない気持ちになる。
「大丈夫です。母と僕でなんとかなりますので、母には配達から帰ったら伝えておきます」
そんな慎文の複雑な気持ちを推し量ってくれたのか、提案してくれる彼の優しい笑顔に胸がじわりと熱くなる。本当に此処の花屋の親子は優しくて、こんなよそ者の自分でもまるで家族のように快く受け入れてくれている二人に感謝でしかない。
「ほんと……?じゃあ、お言葉に甘えて……。葵くん、ありがとね」
年下に甘えるなんて大人げないと思いつつも慎文はそうと決まればエプロンを脱ぎ、店の裏にある更衣室まで駆け足で向かうと荷物を取りに行った。
荷物を取ってくるとお店のお花用の冷蔵庫から赤い薔薇の花が際立つ綺麗な花束を腕に抱える。
約束の相手にあげたくて、センスが皆無である自分が葵くんに教えて貰いながら組んだもの。今日は一生に一度の大切な日だから、素敵な時間にしたい。
店を出る前にもう一度葵くんに御礼を述べると花束を抱えながら店を後にした。
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