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リビングのソファでテレビを点けながら、スマホを眺めている和幸を対面キッチンから時折、視界に入れながら朝ごはんの準備をする。
今、目にしている光景が夢のようで堪らない気持ちになる。
以前であれば自分が呼ばない限り和幸は自室に籠って出てこないことが多かった。
下手に詮索をして嫌われたくなかったことから、怖くて踏み込めず、出てくるのを待っていることしかできなかった。
徐々にではあるものの和幸はちゃんと気持ちに向き合ってくれていると信じたい。
「和幸。準備できたよ」
笑顔でソファの和幸に声を掛けて、ダイニングテーブルに朝食を並べる。
今日はスクランブルエッグに実家から持ってきたソーセージ。
野菜たっぷりのコンソメスープに角食と洋風にした。
匂いに誘われるようにソファからテーブル椅子に腰をかけた和幸は鼻で空気を吸い込みながら笑みを浮かべる。
「美味そうだけど、相変わらずの量だな」と呟きながら箸を手に取ると、顔を綻ばせながら食べ始めていた。
慎文も和幸の向かいに座り、朝食に手をつける。
「慎文、家はどうだ?変わらずか?」
「うん、特に変化なくいつも通りだよ。カズユキも元気だし」
カズユキとは、慎文の実家の牛舎で個人的に飼っている仔牛の名前であった。生まれて二カ月での茶色い毛並みのジャージ牛。
和幸の髪の色も同じ優しい暖色みのある茶色をしていることから好きすぎるあまりにつけた名前。
聞いた途端に和幸は口に含んでいたスープが気管に入ってしまったのか、苦しそうに噎せてしまっていた。
「和幸、大丈夫?」
慎文は慌てて手元にあった牛乳瓶を手に取り、和幸のコップに注ぐ。
「どうも……つか、初めて聞いたときも驚いたけど、牛の名前を俺にするなよ」
牛乳を流し込んだことで落ち着いた和幸を見て胸を撫で下ろしていると、彼自身は不服そうに眉を寄せていた。
「だって、和幸みたいな毛並みだったし、小さいし……」
「仔牛なんだから小さいのは当たり前だろ。言っておくけど、お前が単純にデカいだけで、俺は平均的なの」
口先では怒っているけど、怒気は込められていない。
確かに和幸の身長は成人男性の平均的な高さではあるが、5cm程の身長差のある慎文にとっては小さくて細くて可愛い対象であった。
「それでも俺にとって和幸は小さくて可愛いから……。けれどやっぱり、本物の方がいい」
「当たり前だろ、牛と人間を一緒にすんな」
額を指で弾かれる仕草だけでも、慎文の胸を燻る。
こんな日が一時的ではなくて毎日続けばいいと思ってしまうのは贅沢だろうか。
ひとつ欲が満たされれば、新たな欲が出てくる。
以前は和幸と両想いになることが、和幸と一緒に住むことに変わったのはここ最近の話だった。
始まったばかりの休日が終わってほしくない。
好きな人と居る時間はあっという間で、幾ら時間が合っても足りないくらいだった。
付き合う前から頭の片隅にあった願い。
慎文としては四六時中でも和幸と一緒に居たい。
毎朝、和幸の顔を見ながらご飯を食べて、仕事から帰ってきたら和幸の隣で眠ることがどんなに幸せか。
しかし、そんな慎文の願望はそう簡単なことではないことは、分かっている。
自分は家業があるし、一緒に住むとなればどちらかが仕事を辞めなければなくなる。
和幸も同じ地元とはいえ、栄えている住み慣れた市街地から出ることは躊躇うだろ。
そうなるとやはり自分が家を出て行く話になるが、家業をそう簡単に捨てられないのも事実だった。
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