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chapter⑩
「御馳走様でした」
仕事から帰宅して母親が用意した晩御飯をかきこむ。母親が片付けをしている台所まで食事を済ませた食器を持っていき、足早に立ち去ろうとすると、「慎文」と呼び止められてしまった。
「何、母さん」
エプロンで手を拭いながら此方へと向かって来る母親が鬱陶しい。
平日の二十時、慎文は和幸と電話がしたくて疼く心を抑えながら、振り返って返事をした。
「あなた毎日、慌てたように部屋に戻るけど何かあるの?」
「別に、何もないよ。もういい?」
母に足止めされている時間が惜しい。一刻も早く部屋に戻って和幸と話がしたい。
「待ちなさい。慎文、ちょっとそこに座ってくれる?」
ダイニングテーブルへと促されて、下手に突き放すこともできなかった慎文は大人しく、いつも座っているテーブル椅子に腰を下ろす。
直ぐに終わるだろうか。
和幸も仕事で疲れているだろうから、あまり遅い時間にならないようにしたかった。
母親も向かい側の椅子に腰かけると白い二つ折りの大判冊子を出してきて、慎文に差し出してくる。
「なにこれ?」
野生の感であまりいいことではなさそうだったが、念のため慎文が問い掛けると母親は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、冊子を見開いた。
中身は一人の女性の写真があり、白いドレスに愛嬌のある笑顔で写真の中の女性が此方を見ている。
一目見てもそれがお見合い写真であることは明確だった。
「貴方もいい歳でしょ?お見合いしてみない?」
きっと出会いのない慎文を想っての母親のお節介だと分かっていても、お見合いなどする気はなかった。自分には既に誰よりも愛している恋人がいる。
「別に結婚したいと思わないから俺はいいよ……」
「でもほら、母さん慎文の孫の顔が見たいわ。なるべく早い方が子供のためでもあるでしょ」
簡単に母親が引き下がってくれるとは思わなかったが、孫と言う単語を聞いて顔が引き攣る。
姪っ子の面倒をみるのは好きだし、子供は嫌いじゃない。
母親には申し訳なさがあるが自分が和幸を愛している以上、親の望むようにはしてやれない。
だからと言って自分の気持ちに反してまで、母親の言いなりで世間一般的に異性と結婚して家族を築くなんて、慎文にとっては幸せな選択肢ではなかった。
どんなに綺麗な人だとしても、和幸以上に好きになれる人は居ない。
和幸との将来を考えている以上、いずれ話さなければならないことだと思っているが、彼と話し合っていない段階で先走るわけにはいかなかった。
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