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幸い、大事には至らず倒れた原因は一時的な精神的ストレスによる失神だと診断された。目立つ外傷はなく、命に別状はなさそうではあったが、今日一日は一先ず入院して翌日に検査を受けることになった。
診察を待っている間、父親と知らせを受けて駆け付けてきた兄から母親と何があったのか問われたが、簡単に事情を説明できるようなことではなく、口を噤んでいた。
病室前の三人掛けの長椅子に腰を下ろして頭を抱える。本当はいうべきじゃなかったのだろうかと後悔した。けれど、母親に話したことは全て事実だ。
暫くして目の前の病室扉がスライドされ、兄の康孝が室内から出てきた。
「お前まだいたのか。とりあえず今日はもう帰れ」
「……」
「母さんには父さんが付き添うって言ってたし、医者も命に別状はないって言ってたから大丈夫だろ」
「ごめんなさい……」
母親をここまで追い込むつもりではなかっただけに、負い目を感じる傍らで和幸との関係を理解してもらえなかった悲しさがあった。
兄の顔ですら真面に見られず、ただ謝ることしかできない。
「なあ、慎文。何があったんだよ。父さんには言い難いことかもしれないだろうし、俺にだけでも話してくれないか?」
両腿に両肘を乗せて項垂れている慎文の隣に康孝が腰を下ろす。
事情を説明するように促されたものの、話すとなれば和幸のことも説明しなければならなくなる。
母親の反応を目の当たりにした手前、実の兄でも自分を理解してくれる可能性は低いかもしれないが、避けては通れなかった。
父親は典型的な頑固おやじだし、兄の康孝のほうがまだ話しやすい。
「兄さん……。俺、和幸くんと結婚したいと思ってる」
「はぁ⁉和幸ってあの和幸か?」
「うん……。今、和幸くんと交際してるんだ。だから、そのことを母さんに話して縁談の話はもう持ってこないようにお願いしたんだ……」
瞠目している兄の反応は想定内だった。誰だって身内の恋人が同性だなんて驚いて当たり前。市街地の方ではそう珍しくはない光景になってきていても、此処は田舎の農業地、理解者の方が少なかった。
康孝は話を聞くなり、椅子から立ち上がると半歩下がって見下ろしてくる。
「好きってお前が、まさか。じゃあ、毎年のように向こうに行っていたのもその理由か?」
内心では動揺しているのは分かるが、決して、感情的にならずに冷静に返してくる兄はやはり矢木田家の長男だと思った。
慎文は康孝の問いに対して、首を上下に振ると頷く。
「うん、和幸くんに会うため。俺、和幸くんのことが好きなんだ……」
康孝は両腕を組み、眉間に皺を寄せながら慎文の話を聞いていた。
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