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和幸と一緒になりたいからって家を出たなんて言ったら呆れて愛想をつかされてしまうかもしれない。
「そうか……。まぁ、入れよ」
「うん、お邪魔します……」
案の定、あまり嬉しそうな反応をみせない和幸は静かに頷くと、足早にリビングへと繋がる廊下を歩いて行ってしまった。
一度も振り向くこともなく扉を開けて部屋に入っていく和幸を見て、慎文は慌てて靴を脱ぐと鞄を持って後に続いた。
和幸はリビングへと入るなり、キッチンへと向かい、電気ポットでお湯を沸かし始める。
そんな和幸の様子を伺いながら、コートをハンガーに通し、ラックにかけると慎文は食卓テーブルの椅子に腰を掛けた。
「お前、飯は食ったか?」
「まだ……」
「そうか、出前でもとるか?材料も何もないし」
最初にキスを拒絶された以外は、慎文を気に掛けてくれるいつもの和幸だ。
和幸に会いたい一心で駆けだしてきたので夕飯のことを全く考えていなかった。
今から買い出しに行くには少し遅い時間だし、和幸もお腹が減っているかもしれない。
慎文が静かに頷くと、彼はテレビボードの引き出しから出前のチラシを取り出して渡してきた。
「好きなの選べよ」
「和幸は?」
「俺はいらない」
ケトルのお湯が沸騰した音がして、和幸はキッチンへと向かう。
「でも和幸だって何も食べてないんじゃないの?」
「いや、少し食ったんだ。だからいい」
キッチンで不自然に噎せるようにせき込んだ後、マグカップにお湯を注いだ和幸はキッチンから出てくる。
「決まったら勝手に頼んでいいからな。お金置いておくから、じゃあ……」
ココアの入ったマグカップを慎文に差し出してくるとテーブルに一枚の五千円札を置いてきた。
慎文が来ているにも関わらず、渡すものだけ渡して、早々に部屋へと向かおうとする和幸の素気なさに物案じした。
「かずゆきっ」
慎文は椅子から勢いよく立ち上がると、テーブルの上のマグカップが大きく傾き、ゆっくりと横倒しになってしまった。
和幸の淹れてくれたココアが天板に広がり、端まで辿り着いた後に絨毯を汚していく。
「おい、お前何してんだよ」
驚いた和幸が空咳をしながら近寄ってくると、カウンターキッチンの上にあった台拭きでテーブルを拭く。
慎文は無言で拭いている和幸の右手を掴んで彼のことをじっと見つめる。
「慎文、どうしたんだよ。お前が掴んでいたら片付けられないだろ?」
眉間に皺を寄せて、僅かな怒気が込められた声。やはり和幸は慎文の突然の訪問を喜んでいないようにみえる。
「和幸、やっぱり忙しいの?最近電話してなかったから……」
「ああ、だから片付けて休みたいんだ。お前には悪いけど、お前はお前でゆっくり寛いでいていいからさ」
その言葉が自分を遠回しに遠ざけているような気がして寂しくなる。
久しぶりに会った恋人なら、ずっと一緒にいたくなるものじゃないのだろうか。
少なくとも慎文はずっとしたかった電話も我慢して漸く会えたのだから二人で過ごせる時間は一分でも多くありたい。
頼みの綱である和幸にまで拒絶されたらと思うと自然と握る手に力が入る。
この手を潔く離してしまえば和幸がどこかへ行ってしまうような気がして離せなかった。
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