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【 遅咲きの成功者 】
皆さん、こんばんは♪(*´◡`*)
今日は、皆さんに少しだけ勇気が出るようなお話を紹介したいと思います。
というのは、このところエブを退会される方が続いていて、せっかく才能があるのにも関わらず、辞められてしまう人が何名かいました。でも、どうやってモチベーションとかを上げて行けばいいのか……。応援イベントを1年あまり続けていますが、私自身、壁にぶつかっている感もあります。°(/ω\*)°。
ある先輩がこんなことを言ってました。年齢いってからも、活躍されている人も沢山いるよと……。
そこで、今日は、『遅咲きの成功者』というテーマで、過去に実際にあった遅咲きの人たちのお話を紹介したいと思います。
小説を書いていると、「ああ~自分は小説を書くのに向いていないなぁ~。もうやめようかなぁ~」と思うことが度々あります。
他の方のつぶやきとか、エッセイなどを読んでいると、たまにそういう方にも遭遇します。
自分は本当に無力ですが、そんな誰しも一度は考えたことがあるであろうこの問題に、少しでも光が射せばという思いでこちらをご紹介したいと思います。(*´◡`*)
遅咲きの小説家として、よく例に上げられるのが、『松本清張さん』。
彼は、42歳に書いた『西郷札』が処女作で、作家デビューされています。
その後、44歳の時、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞し、名前が知られるように。
でも、清張さんは、高等小学校卒業して、ある会社で掃除やお茶くみ、社員の使い走りとかしていたそうです。
それから職を転々とし、新聞社に勤務されている時に、芥川賞を取っています。
その後、46歳の時に、新聞社を辞め、本格的に作家の道へ進んだんだそうです。
そして更に遅咲きの作家さんと言えるのが、あの『横溝正史さん』。
横溝さんは、46歳の時に金田一耕介が初登場する『本陣殺人事件』で、第1回探偵作家クラブ賞長編賞を受賞されています。
でも、そこから苦悩の日々が続き、何と74歳の時に、あの『犬神家の一族』が映画やテレビドラマ化され、空前のヒットとなりました。
その後は、皆さんもご存知の通りのご活躍を70歳過ぎてからも続けて来られました。
これを聞いただけでも、「まだ自分も出来るかも……」と思われた方もいるのではないでしょうか。
もうお一人ご紹介しますのは、あの「ケンタッキーフライドチキン」でお馴染みのカーネルおじさんこと『カーネル・サンダースさん』。
彼は、この「ケンタッキーフライドチキン」で成功するまでに、40種以上の職業を転々としたそうです。
そして、フランチャイズ1号店ができたのは、何と彼が62歳の時。
その後、65歳の時に自分が経営する「サンダース・カフェ」が破綻し、一時は無一文状態に。
そこから、フランチャイズビジネスを進めて行き、今の「ケンタッキーフライドチキン」の成功に繋がって行きました。
カーネル・サンダースさんの名言の中に、こんな言葉が残されています。
【名言】
「私にはたった二つのルールしかなかった。
・できることはすべてやれ。
・やるなら最善を尽くせ。
これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の道だ」
成功するまでの道のりは、皆さんとても長くて、とても我慢強くて、とても深いですよね。
まだまだ、私たちなんてそれに比べたら、ハイハイする赤ちゃんのようです。(//◡//)
時には、ここまで来た自分を褒めてあげましょう。
家族を、お友達を、お知り合いの方を褒めてあげましょう。
みんな、すごいよ♪。°(っ´˘`°)°。
それでは、皆さん、遅咲きの成功者の方々のように、粘り強く執筆頑張って行きましょうね♪(*´◡`*)
明日も皆さんにとって、素敵な一日になりますように♪
それでは、次回をお楽しみに♪(*´◡`*)
φ(_ _o)。○))))zzzZZZ…
2022年4月28日(木)
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