プロローグ

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プロローグ

 1945年5月、帝都から北北東に約260キロの海辺近くの洞窟――。 「若先生! こっちですわ!」  地中深く沈み込む、洞窟性コウモリすら姿を見せない深淵。その最深部に懐中電灯の明かりがちらちらと2つ。 「おっと、足元がな……」  大きな起伏が続く岩場と長時間の行軍に息を切らしながら、黒烏十三(こくうじゅうぞう)は慎重に声のする方へと歩んでいく。  『寒い』と聞いていたから地元のマタギから借りてきた熊皮の上着だが、それでもなお凍てつく寒さに足先と鼻がかじかむ。 「ここですんで」  先導した男の足が止まる。 「はぁ……はぁ……ここまで6時間か。しかし、よくこんな深い洞窟を見つけたもんだな」   「へぇ、何しろ儂ら山師に下知されたんは『本土決戦に耐えられる深くて頑丈な洞窟を探せ』やったもんで、はぁ」  米軍の空襲は日に日に激しさを増している。噂では本土決戦に向けて信じられないほど強力な新型爆弾の投下も計画されているとか。如何なる空爆にも耐えうる強固な防空壕の確保は、大本営にとって急務だった。 「アマノイワト洞窟か……」  地元では古くから信仰の対象として崇められていた聖地である。入り口に掛けられた注連縄(しめなわ)の汚れが、如何にも何かを封印しているような。 「若先生、これです。これなんで。その――」  先導した男の声が震えている。  その、揺らめくオレンジの灯りが示す先にあったのが。 「凄い……な。まさかここまでとは」  思わず息を飲む。  事前に聞いてはいたが、こうして実物を見るまでは全く信じられなかった。眉唾というか。故に相談を受けた大学の教授も自分では行かず、学生である黒烏へ確かめに行かせたのだ。 「……これの存在を知っているのは?」  地面に下ろした背嚢からカメラを取り出す。 「へぇ、儂と、教授、それに若先生。あとは第九独立工兵聯隊の鷺ノ宮(さぎのみや)連隊長殿には話をしやした」  眼前には大きな氷が一面に張っている。そして、その灯りの先にあるのは。 「人間……少女か」  上背にして120センチそこそこだろう。髪の長い小柄な女の子が氷の中に閉じ込められていた。鹿か何かの毛皮を加工したと思われる服を身にまとっている。両手は胸の前でそっと組まれ、首には小さな勾玉の装飾品が下げられていた。  黒烏が傍に寄り、懐中電灯の灯りで勾玉を照らす。 「衣服の感じからして縄文期、それも勾玉が蝋石製に見えるな。こうした特徴は縄文時代初期……下手をすると1万年近く前か。だが、それにしては」  そして、何より不思議なことが。 「……儂らもたまに氷づけになった猪とか見やすがね。こんな生きのいい状態で見つかるこたぁありやせん。大抵は水分が抜けて木乃伊(ミイラ)になっちまっているのがほとんどで」  だが、今こうして目の前にいる『縄文の少女』はミイラどころかまるで氷漬けにされたかの如くに鮮やかな血色を保っているのだ。あたかも『生きている』かのような。 「……信じられない。今にも動き出しそうだな」  学術的興奮を凌駕する、心の底から湧き上がる『恐怖』。気温の寒さとは別に背中がぞくぞくと冷えるのが分かる。胃の底から酸が喉まで上がってくる。  声に出して言う事ではないかも知れないが、この発見がもたらす価値は単に日本古代史上の価値に留まることはない可能性を黒烏は感じていた。 「若先生、どうしやす?」  おずおずと先導の男が黒烏の顔色を伺う。 「教授には『何かの見間違いだった』と報告しておくよ。その上で、鷺ノ宮連隊長には私から直接に話をつけておく」  暗闇の中にカメラのストロボを焚くバシャッ! という音と眩い閃光が走る。露光時間を少しづつ変え、万が一にも撮影ミスがないようにして。 「へえ、承知しやした。ならば儂も黙ってやすんで」  男も、その発見の持つ意味を薄々理解しているようだ。  もしも『ミイラ化しない』のが、この少女が持つ何らかの特異な生命力の一種なのだとしたら。 「……もしかすると、この発見は人類を『死』や『老』から救うかも知れない。輪廻の輪から人類が脱却できる……まさに神の如き存在だよ」  ならば、そのような大発見を軽々に表に出していいものでもあるまい。もしかしたなら名声や大きな地位、または大金を生む金の鶏やも知れぬのだ。いや、それどころか……。 「決めた」  黒烏がシャッターを切る手を止める。 「この少女、アマノイワト洞窟に潜む神……『アマテラス』と名付けよう」  そうして、黒烏は満足気に頷いた。  ――それから、80年の時が流れる。   「くそっ! また余震だぞ! デカい!」 「すぐ近くの不遇原子力発電所で1号炉が炉心融解(メルトダウン)を起こしたそうです! 地下の放射線量率が急激に増大中!」 「予備電源の燃料ももう限界です! 電源喪失します!」  ちかちかと点滅を繰り返すアラームランプが室内を真っ赤に染めている。ビービーと絶え間なく鳴り響く警報音が耳を突く。 「仕方ない、これ以上この場に留まることはできない! 総員に退去命令を出してください! 被験者の4人にもすぐ伝えて!」  バタバタと忙しない靴音が入り乱れる。 「ドクター、地下冷凍室のアマテラスはどうします? 電源が止まれば凍結を維持できませんが」 「……仮に『無事解凍』になったとしても、地中に融解したウランの放射線障害でとても耐えられないでしょう。残念だが、見捨てる他はないです」  悔しそうに唇を噛みながら、男たちは建物から退去して行った。 溶けかかった氷が静かに雫を落とす『アマテラス』を地下へ残したままに。
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