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 あ、のっぺらぼう。  端的に、そう思った。  夜道。周囲に家影はなく、ただ広い田んぼと、その隙間を縫うような砂利道が延々と続いている。その道を、アカリは一人で歩いていた。  うつむきながら、砂利道を踏みしめるようにして。涙でぼやけた視界に自分のローファーが移りこむ様を、アカリはどこか遠い場所で見ているような気がしたものだ。  吐息が白い。手も足もかじかんで酷く痛む。けれど、そんなことにはかまっていられない。  夜は更けている。電車に乗ったのは夜の八時頃であった。それからきっと、一時間以上は経っているだろう。明日も学校があるし、本来ならこんな時間にうろうろと出歩くような習慣もない。罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、彼女は歩くのをやめなかった。目的があって歩いているわけではない。けれど、立ち止まってしまったら、帰らなくてはならなくなる。帰りたくない。だから歩く。その一心で、アカリは砂利を踏みしめている。  と、そこに、しく、しく、と声が聞こえたのである。  顔を上げる。ちかちかと瞬いた電灯の下に、女の人が、ひとりうずくまっていた。妙齢の女性のようである。暗闇でも鮮やかな緋色の着物、その袖で顔を隠し、泣き声を挙げている。  アカリは息を呑んだ。  こんな時間に、一人で、こんな場所で泣いているなんて。旦那さんか……それとも、家族と喧嘩でもしたのだろうか。 「……あの」  近づいて声を掛けた。普段のアカリであったら関わらないようにしてその場を離れたのだろう。けれど今は他人事とは思えない。  じじ、と、古い電灯特有のノイズが聞こえる。声が届かなかったのだろうか、女性は顔を上げず、より一層激しく(すす)り泣く。 「大丈夫ですか?」  もう一度声をかけると、女の人はす、と振り返る。顔を隠した着物の袖がはらりと揺れた。面妖なことに、その着物は普段使いのそれではない。アカリの目にもわかるほど、上質な、ずっしりとした重さの振り袖である。 「お嬢さん。お優しいこと……」  ひっそりと女性は囁いた。そして、おもむろに。  おもむろに、袖を下げたのである。  ――のっぺらぼう。  緩く結った髪の毛が一筋ほつれ、つうと頬にかかっている。その白い面長な顔にあるはずのパーツが、ない。思わず、まじまじと見てしまう。あるはずものがないというだけで、人はこんなにも間抜けな顔になるのだろうか。  なるほど、とアカリは(ほぞ)を噛む。これは何かのドッキリだ。もしくは何かのいたずらか。どちらにしても、ただ顔が付いていないというだけでは脅かし方にしてもあまりに古典的だし、たいして怖くもない。 「大丈夫そうなので、失礼します」  女性に軽く会釈して、アカリはなおも歩を進める。  と、道の先に、ぽつりと灯りが灯っているのを見つけたのである。  電灯の青白い光ではない。もっと柔らかな、赤々とした灯りだ。目を凝らす。どうやら店のようだ。ふわりと良い香りが漂っている。吸い寄せられるように近づいた。  随分と小さい店である。小屋と言った方がいいかもしれない。ぼろぼろの、木でできた門のような外観をして、門と門の間には藍染の暖簾(のれん)。奥は薄暗くて見えない。  暖簾の横には筆文字で大きく、『二八そば』と書かれている。つり下げられた提灯が暗闇にゆらゆらと揺れていた。  営業中なのだろうか。提灯に火は入っているし、おそらく蕎麦の出汁であろう良いにおいが、空気に染み入るように漂っている。 「お嬢さん、こんな遅くにどうしました?」  暖簾の奥に人影が見える。着物姿の裾から下駄が覗いていた。この店の店主だろうか。 「ここ、蕎麦屋ですか?」 「そうですよ」  随分と若い声だ。少年といってもいいくらいの。  それにしても、なんていい香りなのだろう。香ばしいような、懐かしい出汁の香り。そういえば、まだ夕飯も食べていない。アカリのお腹がぐう、と鳴った。 「せっかくだから、食べていきませんか。まだ火は落としていないから」  そういって、人影……店主は奥へ引っ込んだ。
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