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「ええと、アカリさん、でしたっけ」 「はい!」 「とにかく、立ってください」 その言葉に、アカリはすっと立ち上がる。身のこなしが軽いのは若さ故であろうか。砂利道に、むき出しの足で直接座り込んだのだ、ずいぶんと痛かっただろうに、顔にすら出さない。痛みを感じていないわけではないだろう、ふっくらとした足にはくっきりと砂利の跡や細かい砂が残っている。若い女の子だ。身なりに気を使っているのがよくわかる。それなのに、足に付いた砂利を払おうともしなかった。 「へえ」  ミノルは感じ入ったように吐息を吐いた。これはまた、ずいぶんと覚悟のあることよ。あっぱれと言ってもいいくらいの態度である。  ニハチは動揺から立ち直ったようである。立ち上がったアカリを正面から見つめると、すっぱりと言い放った。 「申し訳ありませんが、僕も修行中の身でありますし、弟子をとるつもりはありません。お引き取りください」 「そこをなんとか、お願いします」 「そう言われましても……」 「なんでもします。掃除でも、皿洗いでも! あっでも、なるべく早く蕎麦が打てたらいいんですけど……」  一瞬、アカリの表情が揺らいだのをミノルは見逃さなかった。 「まあ、まあ、お嬢ちゃん。そもそもどうして弟子入りなんて考えたんだ?」  ミノルの問いに、アカリの表情がさらに曇った。 「二条高校って言ったよな。あそこ、お嬢様高校で有名なはずだろ?」 「そうなんですか?」  と、キョトン顔のニハチを目で制し、ミノルはアカリのなりをじっくりと見た。頭髪は手入れが行き届いているし、制服も綺麗にアイロンがかかっている。靴も、鞄も学校指定のものである。よくドラマであるような、金持ちが生活に困窮して、取り急ぎ仕事を探している、というようにも見えない。 「あたし、生半可な気持ちで言っているんじゃありません……」  ミノルとニハチは目を見合わせた。  それは、分かっている。こんな若い子が、弟子入りだとか、土下座だとかを繰り出すことは、ある意味異常だ。百歩譲って弟子入りはいいとしても、土下座をするのはある種の熱量と覚悟が必要な行為である。 「どうしてそこまで、僕の弟子になりたいんでしょうか。昨晩のこと、忘れたわけではありませんよね」  普通の客ならまだ分かる。しかし、彼女は昨晩二度化かしを仕掛け、そしてあえなく失敗した客である。 「僕の店は、普通の店とは少し違うんです。純粋に蕎麦を打ちたいなら、もっとふさわしい場所があるはずです」 「いえ、ここがいいんです!」  叫ぶようにアカリは言い放った。鬼気迫る感すらあった。 「この店が、なにか、その、おかしなイベントを行ったりするのは分かっています。でもあたしは、この店の蕎麦の味が……!」  アカリはそこで言葉を区切った。言いにくそうに口を開き、もう一度閉じて、ゆっくりと開く。 「……この店の蕎麦が好きなんです。それじゃあ、いけませんか」  ニハチは眉を下げた。 「ごめんなさい。アカリさん、僕は期待に応えられそうにありません。帰っていただけますか」 「でも!」 「すみません」  そういって、ニハチは踵を返した。ミノルも後に続く。ニハチが決めたことだ。それに、彼が弟子をとらない事情もある程度察することができる。これに関しては、自分が口を出すことではない。 「あたし、諦めません」  アカリの声が追いかけてくる。暖簾を潜ろうとしたニハチの肩が、ぴくりと揺れた。 「また、来ます。お許しをもらえるまで、何度でも」  ニハチは、思わず振り返った。決意に満ちた少女の瞳が、メラメラと燃えているのを、確かに、見た。
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