4/4
前へ
/49ページ
次へ
 一連の流れを聞いたマッキーは片方の眉を上げた。 「それで?」 「それで、おしまい」 「もったいない!」  セミロングの髪をかきあげ、マッキーは背もたれに体を預けた。 「なに、ニハチちゃん。あんた、若い女の子が、そんなに情熱的に! 弟子にしてほしいって言ってきたのに。すげなく断っちゃうなんて。男がすたるじゃないの」 「すたるもなにもないでしょうマッキーさん」  ニハチは呆れ顔である。 「蕎麦の味を気に入ってくれたのは嬉しいですけど、だからといって弟子なんて、無理ですよ」 「どうして?」  赤く染まった目元を細め、マッキーはすうと笑った。猫のような笑みである。柔らかい声は優しい。まるで母親が子供に言い聞かせているかのような響きであった。 「実際、いい腕じゃないのニハチちゃん。出汁にもこだわってるし、蕎麦もコシがあって、ほんと、美味しい」  そうなのである。  実際ニハチは良い職人であった。出汁の取り方や麺のうち方だけではない。付け合わせの研究や、水や粉の産地、気温、季節。あらゆることにこだわる様は、先代ヤジロをも越えている、とマッキーは思っている。彼がここまで心血注いでいる蕎麦のことだ。その技術を伝えたい、残したいと思うのは、技術者の本能なのではないだろうか。  問いかけの視線を向けると、ニハチはあからさまにたじろいだ。 「ありがとうございます。……でも」  ほんの少しだけ、ニハチの表情が曇った。 「どうしても、無理なんです」  ニハチはそれきり口を閉ざし、厨房の奥へと引っ込んでしまったのである。 「まったく、頑固ねえ」  ため息と共に呟いて、マッキーは日本酒をちびりと舐める。ミノルは軽く笑って椅子にもたれた。 「まあ、無理もないわなあ」 「あら、意味深ね」 「んなことねえよ。ただ、相手は人間だ。面食らうのも仕方ないだろ」 「ずいぶんと肩を持つこと」 「人間は俺らと違って、あっという間にいなくなっちまうからな」 「やだ、センチメンタルじゃない。刹那的な出会いってのもいいものなのに。まだまだ青いのね、ニハチちゃんも」  ふふん、と笑ってマッキーは箸を取る。ワラビを少量とって口に運んだ。口一杯に程良い苦みが広がり、丁寧にとった出汁の香りとの絶妙なハーモニーに、うっとりと目を細める。 「うん、春ねえ」  そのときである。ざわりと空気が動いた。 「なんだ?」  見ると、背後でやんやと宴会をしていたあやかしものが、ざわざわとどよめいているのである。 「どうしたんですか、急に」  ニハチも顔を覗かせた。  ――人間。  ――人間が、来た。  ひそひそ、と交わされる声に、ニハチとミノルは目を見合わせた。 「人間?」 「まさか」  砂利を踏む、ざくざくという音がする。まだ軽い、若い人間の足音だ。その足音には聞き覚えがある。 「おい、ニハチ、もしかして」 「失礼します」  ミノルの声を遮るようにして、軽やかな声が被さった。鈴を転がすような声。暖簾の向こう側に、紺のソックスに包まれた細い足首が覗いている。  間違いない。  ニハチは天を仰いだ。  あの、アカリと言ったか。あの子が、来たのだ……。  
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加