呪縛

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◇  気が付くと、私は誰かの大きな背中に背負われていた。ゆりかごのように、ゆっさゆっさと大きく上下に揺れている。規則正しく刻むリズムが、また眠気を誘う。 (男の人の背中……。背負われているの?)  子供の時に味わった以来の心地よさ。  小さい頃は、外出中に寝てしまった私を、父がよく背負ってくれた。その時の暖かくて大きな背中を思い出す。肩も首も逞しくて、山のようだった。父の背中は幸せの象徴。ここにいれば大丈夫だと、無条件に信じられる場所だった。  途中で起きても、降ろされたくなくてわざと寝たふりを続けた。そんな父の背中を思い出と共に懐かしむ。 (お父さん……)  もしかして、ここは天国で、父と再会して幸せだった幼いころを再現しているのだろうか。  しばらく夢現(ゆめうつつ)の中で幸せを感じていたが、父はまだ元気に生きていることを思い出した。 (違う! お父さんじゃない!)  ハッキリと目が覚めた。私を背負っているのは父ではない。  早耶人が私の体をどこかに運んでいるのだろうかと、恐る恐る横から顔を覗き見ると、蛇石先生だったので驚愕した。 (ど、ど、どうして? 何がどうなってこうなったの?)  蛇石先生が、私を背負って山を下っている。 「せ、先生! 蛇石先生!」  たまらず声を掛けた。 「やあ、気が付いたか」  普段と変わらぬ声。 「私、殺されたんじゃなかったんですか?」 「君は、助かったんだよ」 「私、助かったんだ……」  生きていることに感動して打ち震えた。胸が熱くなり、涙が頬を伝う。 「ウッ、ウ……」  蛇石先生は、背中で泣いている私に気づいたが、そっとしておいてくれた。 「……私、どうして先生に背負われているんですか?」 「気になるよな?」 「はい。とっても」  他にも聞きたいことが沢山あって、どれから質問すればいいのか迷った。迷った末に出てきた最初の質問がこれだった。 「重たくないですか?」 「いやー、そんなことないよ」  そう言いながらも汗だくだ。時折、ずり落ちそうになる私の体を持ち上げる。これは、かなりの重労働。明らかに無理をしている。 「降ろしてください。歩きます」 「地面に倒された時に頭を打っているかもしれない。もう少し様子見したほうがいい」  体のあちこちを負傷していて、ジンジンと痛んでいる。頭部の損傷はなさそうだが、後から影響が出てくるかもしれない。今は、蛇石先生の厚意をありがたく受け取ることにした。 「ここ、どこですか?」 「福籠家の山を下りているところ。車が入ってこられないから、こうして人力で運んでいる」  早耶人と陽向の姿は見えない。 「あの二人はどこへ?」 「ひん死の君を放置して、アリバイ工作のために立ち去った」 「そうでしたか」  あのまま放っておかれたら、私は確実に死んでいた。 「先生が助けてくれたんですね?」 「まあね」 「私、毒ガスを吸わされて殺されたんだと思っていました。違ったんですか?」 「吸わされたのは、二酸化炭素」 「空気中に漂っている、あの二酸化炭素?」 「そうだ。濃度の高い二酸化炭素は、中毒症状が出て死に至る。それを悪用したんだ」 「どうしてそんなものを使ったんでしょう?」 「山中には二酸化炭素の溜まりがたまにあって、登山者が亡くなってしまう事故が起きる。君もそのような不慮の事故で死んだと偽装するつもりだったんだ。毒ガスを使ってしまうと、検死でバレてしまう。そうなると、山の持ち主である自分の嫌疑は免れない。警察にいろいろ探られてしまうと、他の犯行まで発覚してしまう。それで、事故に見せかけようと考えたんだろう」 「なんて恐ろしい」  カップルの殺す時に偽装しなかったのは、自分たちが疑われることはないと妙な自信でもあったのだろう。 「そんな危険なものを、どこで手に入れたんでしょう?」 「手作りだね。福籠早耶人は、工学部に通う大学生。その辺の知識と技術を持っている。二酸化炭素だけを抽出して噴霧器に取り込む作業も、大学の器具を使えば簡単なことだろう」  蛇石先生は、ポケットから、彼らのものとは違うエアゾール噴霧器を取り出した。 「これには濃縮酸素が入っている。肺気腫の人なんか、ちょっと動いただけでも酸欠になって動けなくなる。そんな時に使う。この田舎では、救急車の到着が遅くて間に合わないことがあり、道端で倒れている人を見つけたら即座に使えるよう、僕は常に持ち歩いている。二酸化炭素と分かったので、躊躇なくこれを使用できた。君は酸欠状態を脱したというわけだ」 「先生の応急処置のお陰だったんですね。ありがとうございます!」 「いやいや。おそらく、製造過程の処理が甘くて、二酸化炭素の濃度がそれほど高くなかったんじゃないか? 少しの違いでも、存命率が格段に変わるから」  蛇石先生は謙遜するが、間違いなく命の恩人。背中で頭を下げる。
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