犬との生活

2/4
前へ
/4ページ
次へ
猟師の方から頂いたイノシシをケンちゃんがさばいている。 それなりの大きさにカットし終えたら、楽しい食事の時間が始まる。 自分が受け持っている仕事は、8割が清掃業務。糞尿の片付け、犬舎の清掃、その他もろもろ。たまにやらせてもらえる食事当番は、犬たちみんなの「はやく、はやく」が見れてちょっと楽しい。 ケンちゃんと二人で犬の世話をする機会ってあまりない。社長業は忙しく、飛び回っている様子。 この半年間、自分に対しては全く労働基準法が無視されている環境であったから、嫌味というか、ちょっとだけ改善を期待する風で言ってみた。 「自分が過労死したら、みんなに骨まで食べ尽くしてもらいたいな。そしたら、ちゃんと天国に行けそうな気がする」 猪肉と格闘しているケンちゃんは、自分を一瞥もしないでボソッと言った。 「お前の臭い肉なんて、食うかアホ」 「ひどい」 「カラスがつつくぐらいじゃねーの、首から上だけ」 確かに、「肉」になっていなかったら、絶対に手を出すコ達ではない。そのあたり野生動物とはわけが違う。心臓が止まった自分の身体を綺麗に洗って、「はい、どーぞ」って投げ与えたとして、たぶん誰も見向きもしない。いや腐臭を放つまでは、クンクン臭いぐらいは嗅ぎにくるかな。 「俺らが三食ごはんに納豆でも、あいつらにはちゃんといいもん、食べさせるんだよ。ブリーダーってのは、そういうもん。あいつらの命で食ってるんだから」 ケンちゃん名言録、また出たって、思った。 「いい? 働け、死ぬまで働け、死んでも働け、犬のため、俺のために一生懸命、寝ないで働け」 「ヤバいな、この社長ひどいな、訴えるしかない」 ケンちゃんはフンって鼻で笑ってみせた。 「それぐらいの覚悟がないと、命を扱う仕事なんてできねーよ」 確かに、お犬様中心の生活。365日、休みなし。出産が深夜から朝までとなったら、ケンちゃんは24時間見守り生活をやっている。 「週休2日、8時間労働ですって、あいつらに言うのか? OKだワンって納得してくれると思うか?」 十数年振りにケンちゃんと行動を共にして思うのは、若い頃の面影なんて全くない、えらく遠い所まで行ったなってこと。自分は全く、変われていなかったのに。 普段は一人で行うものの、せっかくだからと今日はケンちゃんと二人で食事を与える。 吠えたりはしないんだけどね。「はやく、はやく、ちょうだい、ちょうだい!」って言う声が、犬たちの眼からダイレクトに伝わってくる。 「やったぁ!」って感じで、猪肉の塊を頬張りはじめる。肉以外、今は何も目に入りません、邪魔しないで!って言いたいのがよくわかる。ガシュガシュって、骨から肉をこそげとる音もいい。 ちょっと前、刑務所内での生活は、食事だけが楽しみだったから、自分もあんな感じだったろうか。 無我夢中で肉にくらいつく、犬たちの食事風景を見るのは自分も好きだけど、何千・何万回と与え続けているケンちゃんも、じっと見続けていて楽しそうだ。やっぱり美味しそうに食べる姿は見ている側まで幸せにする。 「ケンちゃんは本当に犬が好きなんだねぇ」 好きなんてレベルでは、この仕事はできないって言うのがわかってきたのに、自分の語彙力では、そのあたり、うまく伝えることができなかった。 「人間とは比較できねーぐらいに、好きだね、大好きだよ」 「自分、昔はさ、動物好きってのは、人間にも優しいはずって思ってたなぁ。人間も動物なんだから」 もっとちょうだい!って顔をして、ケンちゃんに寄ってくる犬に対して、空のバケツを見せて、「もうおしまい」ってアピールしながら応えてくれた。 「たいていの動物好きはバカな人間が大嫌いっだから」 直接、ここに犬を見に来られるお客さんが頭に思い浮かんだ。 「うん、まぁ、そんな感じだよねー」 「バカな人間はいらん、死ねって言葉にするぐらいにヤバいのまでいるからさ」 「ふーん、自分ねぇ、実は、犬猫を救うみたいな活動している人、苦手というか、嫌いだったなぁ」 ケンちゃんには理解できないことを言ってしまった感じ。 「なんで?」 ちょっと棘のある感じの疑問形に、必死で言葉を探し出す。 「うーんとね、虐待されてる人間が、子供が山ほどいるってのに、そこは見て見ぬふりして、そっちですか、みたいな。そんな感じ、わかる?」 ケンちゃんはちょっとだけ、考える素振りをしてから口を開いた。 「わからん。・・・ここで10年頑張れば、たぶん、お前もそうなると思うよ」 「え? なるかな?」 「なるだろ、俺だって、犬を救うのが優先でいいと思ってる」 人も犬の命も同じラインにあるってことかな? いや、犬の方が上ですか。   子供の頃、自分はいかにも血統書付きですよって言う犬を連れ、散歩をしている人間も嫌いだった。犬に対しての愛情の深さ、かけられたお金の大きさが、あからさまに目に見えるのが嫌だった。 人間である自分よりも、大切にされている動物が嫌。そんな飼い主が嫌。 ただのひがみなんだけどね、これ。 ケンちゃんが軽くため息をついて言う。 「人間は面倒なんだよ。助けてやっても恩を仇で返すのがゴロゴロしてる」 「ああ、それは、反省してる」 「せっかく助けてやったのに、助けた人の財布を盗んで、そしらぬ顔をしてたりな」 「反省してます、もうやらない」 「そのやらないって言葉を守れないのが人間で、どうしようもないわけだ」 自分は頭をたれるしかなかった。確かに、犬は自分と違って裏切らないのかもしれない。そのあたり、どうだろう? 振り返ると、自分にも差し伸べられた手があったのに、どうして、ことごとく振り払ってきたのかな?  言い訳がましいけれど、今日、今、この時しかなかった。明日のことより今だった。1ヵ月先なんて、考えられない。1年後なんて、自分は存在してるのかな? そんな感じだったから。 「ねぇ、自分はこれから、どうしたらいいのかな?」 「あぁ? ヤなの? 犬嫌いなの?」 「いや、どんどん好きになってる」 「なら、いいんじゃねー」 犬に信頼されるようになったら、他のスタッフにも信頼してもらえるわけで。そしたら社長のケンちゃんからも信頼もらえるわけで。でもって、お客さんからも信頼が・・・。信頼関係ってそんな感じか。 なるほどって、わかったような顔をした自分にケンちゃんが突っ込んでくる。 「何も考えずに、晴れの日も雨の日も、ただ犬のためだけを思って働けばいいよ。ひたすら働け、そうすれば救われる」 「本当?」 「本当! 幾分ましな人間になる。実証済み」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加