プロローグ

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プロローグ

   俺を呼べ!!!俺を…  私を呼んでほしいの…お願い  ここから出たいよ、僕を連れ出して…  いいから呼べ!!!俺を…そっちへ!!  どこかの誰かが、どこかの誰かへと呼びかける声。その声の主は男であったり、女であったり、子どもであったり老人であったり。それは何の前触れもなく頭の中に流れ込んできて、頭蓋の壁にぶつかって何重にも反響しているかのような感覚をもたらす。あぁ、またか。と思いながら、私は日々を過ごしている。  子どもの頃から私には、耳からではなく頭の中へ直接流れ込んでくるような声や音がよく聞こえていた。たとえば、住宅街で突然獣のうめき声がしたり、家の中で火山が噴火したかのような爆発音がしたり、静かな森の中で急に誰かが話す声がしたり。不思議なことに、周りを見渡してもそれらの音源となっているものはどこにも存在しないのだ。それは何も知らない子どもの私にとっては、当たり前の世界であった。  私が7才の時だった。突然の銃声に驚き「怖いよ」と怯え母親に縋りつく私の頬を、父親が思い切り叩いた。これまでこんな時にかけてくれていた言葉、「何も聞こえないから大丈夫よ。」という宥め文句が、受け止めきれないほどの痛みと共に「いい加減にしろ!!」という怒号に変わったのだ。  幼いながら、そこで私は理解した。どこも悪くないのに何十回も医者に連れて行かれた意味。誰も一緒に遊んでくれなかった理由。傍から見れば何もない所でいきなり怯え出したり、驚いて飛び上がったり、ハッと振り向いたりしているわけで、さぞ気味が悪かったであろうことは少し考えれば分かった。あの声や音は、私にしか聞こえていないのだ。私はただ1人、私だけの世界を生きているのだ。  今でもその時の両親の言動を責める気はない。寧ろ、あの声や音が私にしか聞こえていないという事実にちゃんと気づかせ、向き合う機会を与えてくれたことに感謝しているくらいだ。それでも、1番近くにいたはずの両親でさえ私が生きている世界のことを一度たりとも理解しようとしてくれなかったことは、途轍もなく虚しく、悲しかった。  あの声や音が私にしか聞こえていないことが判明したからといって、私の生きる世界が変わることはない。相変わらず突如として何かが聞こえてくると少なからず反応してしまい、周囲からは憐れみのような冷ややかな目が向けられる。物理的にはすぐそばにいる両親、学校のクラスメート、先生、沢山の人、街並み、木々、空、色々な物に溢れる世界。私だけの世界との間には幾重にもなる透明な壁が間違いなく存在した。それが分かってしまってから、あらゆるものを私だけの世界の中へ閉じ込めることにした。  それは12才になった冬のこと。最後の砦として連れて行かれたのが、首都チェントロ郊外に広がる森の中にあるストレーガ魔術医院だった。医院長であるストレーガ先生は、国内でも珍しい医療を専門とする魔術師だ。通常の疾病というよりは魔法や呪いによる症状を専門として診察しているそうだ。  薬草や薬品、一目見ただけでは何なのかよく分からない物で埋め尽くされた診察室に通され、少し離れた所で両親が見守る中、私の診察が始まった。近くで見る先生はかなりお年を召されていたが、身なりを綺麗にし、真っ白で長い髪を一つにまとめ、気品に溢れたお婆さまといった雰囲気だった。まず、ほろ苦いチョコレートのような味のする液体をコップ1杯ほど飲み、その後先生が私の右耳と頭に触れ何かを唱えた。すると触れられた部分がじわっと熱くなり、かと思えば氷を押し付けられているかのように冷たくなった。先生は何かを掴んだようで、うんと頷き診断結果を聞かせてくれた。  「病気ではないね。ごく稀にいるんだよ。あんたにしか聞こえない音は、おそらくこの世界ではない異世界から聞こえている音だね。目には見えない、感じないだけでこの宇宙には幾多もの世界が確かに存在する。そして隣り合い重なり合っている。あんたはに物凄く敏感で、その隙間から漏れ出た音を感じ取っているんだよ。」  その言葉を聞きながら、私はボロボロと涙を零し、じゅるじゅると鼻水を啜っていた。先生の穏やかな口調で語られた、私は病気ではないという事実と、あの声や音の正体。どうせ自分自身にしか理解できないと思っていたことを、他の誰かが理解し認めてくれたことが素直に嬉しくて、何かが報われた気がした。弱冠12才の幼い子どもであった私が私だけの世界の中に閉じ込めていた、理解されない寂しさ、悔しさ、虚しさ、自己嫌悪、絶望、希望、他の色々なもの。その時それらが全て溢れ返ってしまった。私とこの世界を隔てていた透明な壁たちが、少しずつ壊されていった気がした。  「今まで辛かったね。それだってあんたの個性だと思いな。世界が変わるよ。」  先生はそう言って私の頭を撫でてくれた。この世界にいてもいいと、そう言われている気がした。  「あの…私のこの個性を、なにかいいことに使えませんか。今までは辛くて大嫌いだったけど、好きになりたいの、私の個性。」  それは先生の前で自然とこぼれた、私の意志だった。先生はニコッと微笑み、答えてくれた。  「そうだね…あんたにはまだ難しいかもしれないけれど、召喚士なんてのがあるよ。召喚っていうのはね、ものすごく簡単にいえばこの世界ではない所、つまり異世界に存在する対象物に呼びかけて上手いこと呼び出すという魔術のようなもの。何もせずとも異世界の音が聞こえてるあんたなら、少し頑張って勉強すれば良い召喚士になれるだろうね。そもそも一般人からしたら、まず異世界を感じ取ること自体が難しい。というか、大半の人はいくら努力したところでできないよ。だからね、召喚士は重宝される。何十年か前にあんたと同じ症状でここに来た坊やがいてね、今じゃ王宮付きの召喚士だ。国家資格だしね、儲かるって話だよ。」  先生のこの助言がきっかけとなり、私は召喚士を目指すことにした。  その後3年間の義務教育期間を終え、私はチェントロ魔術学校召喚科へ入学した。それからは先生の言った通りになった。勉強はかなり頑張った。それでも私の個性が生んだであろう差は歴然で、ほかの生徒たちがようやく魔道具の使い方に慣れてきた頃、私は初めて魔獣の召喚に成功した。私はいつの間にか周囲から一目置かれる存在となり、友達もたくさんできた。あの声や音は相変わらず聞こえていたが、幼い頃から比べたら頻度が減ってきていた。私自身も成長し一々驚いたり反応せずに生活することに慣れ、冷ややかな目を向けられることはなくなった。あの時、ストレーガ魔術医院を訪れるまでたった1人だった私の世界は、劇的に変化した。  例年、召喚士試験の合格者は多くて3名。合格者がいない年もざらにあるくらい難易度が高い。私の卒業年度の召喚士試験に合格したのは、私とあともう1人だけだった。  召喚士は国家資格、つまりは国の名にかけて私が召喚士としてこの世界に存在することを許したということだ。それは、あの頃の私からしたら到底信じられる未来ではなかったはずだ。それだから私は、これから始まる召喚士としての未来の世界に少しくらいは希望を持っても良いのではないかと思っている。  あの声や音は、今でも相変わらず聞こえている。変化があるといえば、最近になって俺を呼べとか、連れ出してとか、そんな内容ばかりになってきたということ。  前置きが長くなってしまったが、これは、斯くして召喚士となった私ルーチェ・シンティラーレの物語。私はこの世界のことを、まだ何も知らなかった。
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