序 章

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 時計がちくたくちくたく……と時を刻む。  今頃、お父さんはどうしているかな。  そろそろお風呂からあがって、冷蔵庫の缶ビールをぐいっと飲んで、歯をみがいて、寝室で眠り、明日はまた朝早く出社して、しばらくしたら学校から電話がかかってきて(もしかしたら会議中で出られないかもしれない)、担任の先生からわたしが登校していないと知らされるだろう。  そのときのお父さんの表情は上手に想像できなかった。 「長居してしまってすみません。わたし、そろそろ行きますね」 「ああ、お父さんを心配させないうちに早く帰ったほうがいい。家まで送るよ」 「えっ。その、大丈夫です。ひとりで帰れますから!」  家出を再開するというのに、骨董さんについて来られてはまずい。 「さすがに子どもひとりで夜道を歩かせるわけにはいかないなぁ」 「いやいや。うち、すぐそこなんで」 「まあまあ。散歩ついでだから遠慮しないで」 「ほんとうに、お気持ちだけ」 「だめ、だめ」  ふたりで押し問答しているあいだに、なにかがぎらりと光った。  目を細めて振り返ると、やけに明かりを反射したのは棚の隅に置いてあるの一本のガラス瓶。  思わず手にしたら、「それは売り物じゃないんだ」と骨董さんが言った。  全体がうっすらと(ほこり)で覆われて灰色に汚れており、とても古いものらしいとわかる。 「ごめんなさい。貴重な物ですか?」 「その逆さ。昔、海で拾ったごみだよ。瓶が開かないので中身がわからないが、よく見ると文字が書いてあるだろう」  親指の腹にぐっと力をこめたら、数センチだけ埃がはがれ落ちた。その隙間から中を見れば、たしかに丸めた紙が一枚入っている。 「ほんとだ。これは英語でしょうか?」 「Calamitas virtutis occasio est.」  カラミタース……ウィル……ん? な、なに語? 「古代ローマ時代の哲学者・セネカの言葉で、『災難は勇気を試す機会である』という意味だ」 「へえ……。そんな言葉を記すなんて、もしかしたらどこかの冒険者が海に流したのかもしれませんね」 「そう、そうなんだ! 君は話がわかるなぁ!」  皺に埋もれていた骨董さんの目が、少年のようにきらきらと輝いた。 「遠い外国の海から日本に漂着したと想像してみてくれ。昔の人からの手紙か、失われた魔法がかけられた紙片か、はたまた歴史をくつがえすような秘密が記されたメモかもしれないだろ?」  急に背中がしゃんとして、顔が明るくなって、皺が薄く見えて、骨董さんはなんだか若返ったようだ。これは、お世辞とかじゃなく。  わたしはふふっと笑みが漏れた。  このお爺さんとは気が合う気がする。わたしも想像の中では、冒険家だった曾お祖父さんの曾孫として何度も旅をした熟練の冒険家なのだ。
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