17. 絶妙な距離感

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17. 絶妙な距離感

「改めて、本当によくやってくれた」  朝から将吾は東堂ともども高山に呼び出されて会議室にいた。  A学園理事長の会見から1週間。事態はスピーディーに、かつ大きく動き、捜査の結果理事長は逮捕、起訴された。文科省も関与を認めたが、職員は全員不起訴。総理も責任を問う声が野党から多数あがったが、辞任はしない意向を明らかにした。  後味がすっきり、とはいかない結末だ。けれど誰も巻き添えにならず、誰も犠牲にならなかった。そのことが、今の将吾には一番、嬉しかった。  会見以降の記事は警察の捜査動向を追うものへとシフトしていき、将吾が最後に書いたのは事件のあらましから、今回の事件の社会的な意味を問う総括だった。それが昨日の夕刊に掲載され、反響もかなりあったという。  それをどこから聞いてきたのか自分のことのように誇らしげに将吾に伝えてきたのが東堂だったことが、将吾には驚きだった。すました顔をしていても、その目を見れば心の底から将吾の活躍を喜んでくれていることがわかる。東堂から自分に向けられる熱量が日々少しずつだが増えていっていることが、信じられないような、地に足をつけようとしてもふわふわと浮いてしまうような、そんな心地だった。 「そういうわけで、一旦この件は幕だ。主要関係者の動向はしばらく追わなきゃいけないだろうが、もうそれは警察の発表ベースでいい。というわけで」  そこで高山はもったいぶって間を置く。東堂と将吾は続く言葉を待った。 「君たち2人には、今回の活躍に対する労いとして、特別休暇を与える。急ぎがなければ、今日明日はゆっくり休みなさい。かなり体を張った取材を続けていたようだからね」  そして、やや悪戯っぽい顔をして、高山は付け加える。 「復帰したら、次に君たちに組んで行ってもらう先がもうあるから。十分に英気を養ってくれ」  そう言い残して、高山は先に会議室を出ていった。後にはポカンとした顔の将吾と、ポーカーフェイスを崩してはいないが明らかに戸惑っている東堂が残された。 「特別休暇、って、なんだ……? そんなの、聞いたことないけど……」  ようやく放心状態から復活した将吾は、ギギギと音がしそうなぎこちなさで隣に立つ東堂を見る。東堂はやや難しい顔で眼鏡の位置を指先で直しながら、将吾の疑問に答えた。 「俺は聞いたことがある。職長権限で、部下に休暇を取らせることができるっていうやつだ」  そんな制度、将吾は初耳だった。それもそのはずで、東堂が言うには社全体でも取得させることがあるのは年に1度か2度、東堂がこれまでで実際に見聞きしたケースは1人だけだという。 「そんな隠しコマンドみたいな休暇、俺たちがもらって大丈夫なのか……?」  恐る恐る将吾が言うも、東堂は全く意に介さない様子だ。 「上長指示なんだ。大手を振って休めばいい」  そう言って肩をすくめると、東堂も会議室を出て行こうとする。将吾も取り残されては敵わないと、慌てて後を追いかけた。 「お前は今日このまま休めそうなのか?」  廊下で追いついて東堂の横に並び、歩きながら将吾が聞いた。ずっと一緒に組んで仕事をしてきたのだから、ある程度は状況を共有しているはずだが、細かいところまで把握しているわけではない。将吾としてはその程度の世間話感覚で質問したのだが、東堂の反応は意外なものだった。 「……だったら、何だ」  やたらと低い声。今の東堂と将吾とが積み上げてきた関係がなかったら、何か地雷を踏んだのかと縮み上がるところである。だが、うまく言えないけれど将吾にはわかった。  ——お……?  自惚れてはいけない。そう思うけれど、この反応は、どう見ても、意識している。  考えてもみれば、2人が同時に急な休暇を貰ったのだ。これまでも名目上週休二日ではあったわけだけれど、お互いほとんど仕事に充てているか、私的な用事を片付けるので追われるか、いずれにしても、別々の生活軸で動いていた。だが今回は急なことで、当然仕事は一旦忘れてリフレッシュしろということだろうし、予定だってない。つまり。  ——そっ、か……  東堂と、一緒に過ごせるということ。  将吾が東堂に、何気なくこのあとの予定を聞いた。それを東堂が、言葉以上の意味に意識をした。そこまでようやく思い至った時、将吾が叫び出さなかったのは奇跡に近い。  そうなったら、言うべきことはただ一つだ。 「いや。まあ、高山さんもああ言ってたことだし、もし何もねえなら、飯でもどうかなって」  ちょっとだけ順番がずれてしまった気はするけれど、これはこれでいい。触れたい気持ちと同じくらい、東堂が自分のことを話すのが聞きたい。他愛ない話をして、笑ってみたい。 「……ひ」 「ひ?」 「昼か?」  何のことを聞かれているのか一瞬分からなかった将吾は、東堂が何を気にしているのかわかった途端に吹き出しそうになった。  昼か、夜か。つまりこのまま適当に仕事を切り上げて会社を出て早めの昼食にするのか、夜改めて待ち合わせてどこかへ飲みにでも行くのか。そんなことを気にする東堂は、こうした誘いにも慣れていないだろうことがありありと伝わってきて、無性に抱きしめたくなるから困る。  ——そんなの、お前がいいなら両方だけどな……  と言っても、あまり急に距離を詰めても困らせてしまうだろう。何となく晩飯を想定していた将吾だったが、考え直した。もう、手を伸ばせば触れられるところまで来ているのだ。ゆっくり、東堂のペースに合わせたい。 「そうだな。このあと少しだけ片付けをして、会社を出て早めの昼飯にしようか」  そう声をかけると、東堂は少しだけ間を置いて、頷いた。 「いらっしゃい」  会社から最寄り駅までの間に位置する、創作和食料理屋の暖簾をくぐって、将吾は引き戸を開ける。混雑のピークにはまだ早い店内は、それでもちらほらとサラリーマンの姿が見られた。  お互いを意識している2人が初めて食事をするにはいささか味気ない店のチョイスではあったが、それでも同僚がまず来ないだろうちょっと外れた場所を選んだ努力は評価してほしい。  ここには報道部に異動したての頃、佐倉に連れられて何回か来たことがある。洒落すぎず汚すぎず、いい具合に落ち着いている。安い・早い・うまいを重視する将吾の持ち札には絶対入らないタイプの店だ。将吾は心の中で佐倉に感謝した。 「はー、久々に来たけどやっぱいいな。旨かった〜」  将吾が普段行くようなところに比べれば少々値が張るが、その分奥行きのある繊細な味付けや旬の具材に、心が豊かになる感覚がある。東堂も気に入ってくれたようだった。  将吾はあえて東堂にあれこれ聞いたりはせず、努めて当たり障りのない会話に終始した。一度受け入れてもらえた記憶がもたらす余裕なのかもしれない。駆け引きとまではいかないが、自分ががっつかずにこの絶妙な距離感を楽しめていることが新鮮で、将吾はそんな自分に少しばかり酔っていた。
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