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20. 熱に浮かされて
何もかもが、夢みたいだと将吾は思った。
キスを許された時からふわふわと思いを巡らせてはいたけれど、それとこうして実際に東堂を腕の中に感じるのとでは全く違う。
もう一度、こうしたいとずっと思っていた。それがこんなにも早く叶うとは思ってもみなかった。東堂の体温、匂い、それら全てが、将吾の細胞一つ一つを震わせる。
ふと顔を上げた東堂と目が合った。視線は一瞬だけ絡んで、何か言いたげにまた伏せられる。
唐突に、欲求がわきおこった。
将吾は東堂の体に回していた腕を片方上げて、自分のすぐ目の前にある東堂の顔に触れる。そっと、その目元を覆う銀のフレームを指で捉えて、外した。
何も隔てるもののない、東堂の素顔。ぞくぞくするほど無防備だった。得体の知れない興奮に、将吾はふるりと身を震わせる。
——あ……、こんなところに。
将吾の視線が、東堂の目元で止まる。眼鏡で隠れていて、今まで気づかなかった。東堂の左の目尻のすぐ下に、小さなほくろ。
指でなぞったあと、吸い寄せられるように、恭しくそこに唇を寄せる。
「っ……!」
将吾の行動に、東堂は真っ赤になって眉を寄せた。
「っそういうのはやめろ……!」
なんとかして将吾から逃れようと顔を背ける東堂に、将吾は体が爆発しそうなほどの愛しさを覚える。
「え、だってこんな、眼鏡外さないと見えないところのホクロなんて、何だかエロいなあって……されたことない?」
「あってたまるかっ!」
首筋に、耳元に唇で触れては、恥ずかしさからか嫌がって身をよじる東堂を堪能した。
とうとう、ぐいっと顔を押し退けられてしまった。
「ごめんって」
その言葉にようやく手をどけた東堂の顔に、将吾は自分が一瞬めまいを起こしたのかと思った。上気した頬、薄く開いた口。目にはうっすらと水の膜が張っている。
頭を抱えて乱暴に引き寄せ、唇を奪った。これまでみたいな可愛いものじゃなく、深く、本能を引きずり出すような。
「っ……、ん……」
水音に混ざって、東堂が漏らす息に脳の奥が痺れる。すぐ目の前で震える睫毛の長さに、また煽られる。東堂を構成する全てが綺麗で、たまらなく魅力的だ。
こんな行為を誰かとするのはいつ以来だろう、という思いが将吾の脳裏を掠めるが、すぐまた全身を駆け巡る甘い衝動に意識が引き戻される。最初は縮こまっていた東堂の舌も、執拗に誘う将吾に根負けしたのか、徐々に応えてくれるようになってきた。粘膜が擦れあい、熱を共有し合う感覚に、時間が止まったように感じる。
自分の中にこんなに激しい感情があったのか、と自分で驚くくらい、将吾は強烈な支配欲に突き動かされていた。もっと感じさせたい、もっと思うさま反応を引き出したい。焦ってはいけないと思うのに、東堂を求めるのがやめられない。その熱はやがて体へと広がり、その手つきも意味のあるものへと変わっていく。
「は……ぁ……っ」
解放した東堂の唇からこぼれた熱い吐息が、将吾の下半身を直撃した。ずくんと腰にたまるような熱に、思わず呻く。どうすればいいのかわからなくて、闇雲に目の前の首筋に唇を這わせた。
「ちょ……っ、ま、て」
東堂が切れ切れに将吾を制止する。いつの間にか東堂に乗り上げるようにしてかき抱く格好になっていた将吾は、東堂に実力行使で頭を引き剥がされて、ようやく我に返った。左手はいつの間にか東堂のシャツの裾を抜こうとしていたし、右手は東堂の動きを封じるように後ろから肩に回している。危うく理性とさよならしかけていたようだった。
「お前、その……やり方、わかってるのか」
何の、というのはこの状況から言われなくてもわかる。将吾も言われてかああと顔が熱くなった。
これはなんと言うか、非常によろしくない。何も考えずに、東堂の熱に当てられるがまま貪ろうとしてしまった。だけど将吾は男で、東堂も男で。それはつまり、男女がするように何も準備なく行為に雪崩れ込もうというのは無理なのだと、頭ではわかっていたはずだったのに。
——やっちまった……
女を扱うように東堂を扱うつもりは毛頭なかったけれど、東堂がそう感じてしまったとしても弁解できない。体に未だ劣情は燻っているが、それよりもずっと大切なこと。
東堂に無体を働こうとしていた両手をそっと東堂の背中に回し直して、抱き起こす。
「ごめん……その、いきなりするつもりは、なかったんだけど」
つい、頭に血が登ってしまった。東堂を抱きしめたまま項垂れてそう弁解する将吾に、頭の上で東堂がふっと笑う気配がした。
「焦らなくても、俺は、逃げない」
そうしてると叱られた犬みたいだな、と髪の毛をかき混ぜられて、将吾はやや面食らう。唐突に見せつけられる東堂の余裕が、なぜかひどく悔しい。
「……嬉しかった」
噛み締めるように、落ちてきた呟き。見上げると、目が合った。熱っぽく潤んだそれは将吾を捉えて、眩しそうに細められる。
「正直言えば、まだ100%わかった、これからよろしく、と言えるわけじゃない」
東堂の瞳がわずかに揺れる。東堂らしいな、とそれを聞いて将吾は思った。完璧主義の悪い部分が、こういうところに出るのだろう。できるかできないかなんて、やってみなければわからないのに。
「お前を怒らせることも、傷つけることも、きっとあるだろうし……わッ?!」
将吾は東堂の言うことを遮ることになるのも構わず、もう一度抱きしめなおした。だって、そんなことは初めから分かっている。そのくらいは、覚悟の上だ。
「俺はね」
腕の中でじたばたする東堂を、腕力では勝る将吾が宥めるように撫でる。
「別にお前に何かこれまでと変わってほしいとか、そういうのは何も思ってないよ」
たぶん、東堂は頭から入る性質なんだろうから。打算でしか関係を結んでこられなかった自分を、欠陥品だとでも思っているように思えたから。
「ああでも、一つだけ、お前がたぶんすごく苦手なことをお願いするかもしれない」
「何だ」
東堂の声が不安で硬くなるのが分かる。傷つきたくないから、その前に拒絶する癖がついた声。そうして抱え込んできたものも全部丸ごと欲しいんだ、と言ったらどんな顔をするだろうかと、将吾は思う。
——それはまた、いずれのお楽しみだな。
こんなふうに、東堂を困らせることができるのも新鮮で、将吾は胸がいっぱいになる。ニヤついた顔を隠すことさえできなくて、コツンと額を東堂の頬にくっつけた。
「答えが出ないままでも、俺といてくれること」
言ってから、あまりにキザったらしくて将吾はそのまま東堂の肩に埋まった。さすがにもう少し言葉を選ぶべきだった、と思った。自分のために。
湯気が出そうになりながら将吾が埋まっていると、頭の上に、ぽすん、という感触があった。
——ぽすん?
将吾の頭に、東堂が自分の顔を乗せたのだと、耳に息がかかって分かった。心臓が爆発するんじゃないかと思うほどうるさい。
ほんのわずかな動きの中に、東堂の気持ちが溢れるほど表れていた。呆れ笑いが乗ったため息がまた、将吾の耳をくすぐる。
「底抜けのお人好しもここまで来れば、底なしのバカだな」
熱血くんこと将吾にとっては耳タコだったレッテル「お人好し」に、本日新しく「バカ」が加わった。
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