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憐れみを含んだすきま風が縦横無尽に吹きすさぶうらぶれた商店街。いわゆる日本中にどこにでもありそうなシャッター通りである。近くにできた大資本のショッピングモールや24時間営業のコンビニに押されて、この商店街を訪れる人たちは減少の一途をたどっている。
ここが他のシャッター通りと違うところは、他のシャッター通りを吹き抜ける風が、いかにも無駄な抵抗はやめて大人しく時代の流れに押し潰されなさい、と言っているかのごとくに暴力的なサウンドを奏でるのに対して、ここを通る風は、まるで石狩のニシン漁師たちの悲哀を癒すかのように、ある種の叙情的なレクイエムを奏でていることである。
それもそのはず、人口よりも山から下りてきた猿の数のほうが多いのではないかというくらい、見渡す限りのオンボロ家で構成されている、見るも無残な商店街なのだから。風にだって、同情する権利ぐらいあるだろう。
なにせ、明治から6代続く居酒屋は夜の7時には店を閉め、新聞配達の店主は太陽の南中とともに目を覚まし、米屋は多角経営の極致で金魚の餌を一緒に売る始末である。経営努力というものを、遠い歴史の彼方に忘れてきてしまったこの商店街は、ロークオリティハイプライスの模範的生徒であり続けている。
俺はといえば、昭和30年代から続く家業の駄菓子屋を継いで早10年。当年とって42歳の厄年だ。中学生のときに親父を亡くして、それ以来母親に女手一つで育てられた不肖の一人息子である。そのおふくろも10年前に流行り病であっけなく逝ってしまった。以来、嫁もおらず、天蓋孤独の身である。
これでも俺も人の子。女手一つで育ててくれたおふくろが生きてるうちに、かわいい孫の顔でも拝ませてやりたいのはやまやまだったが、なにせこの田舎町。地域で最大の娯楽施設が商店街のライバルのショッピングモールだという有り様なのだから、年頃のかわいい娘などがその辺をほっつき歩いているはずもなく、ましてや家業が今にも潰れそうなオンボロ駄菓子屋なのだから、嫁の成り手もなく、この歳まで独り身である。
それにしても、おふくろも流行り病で逝ってしまうなどという、江戸時代でもないんだから、そんな古風なことをしなくてもいいのにと思う。何かにつけて昔からせっかちだったあの人は、風邪でも引いたかななんて思ったら、あっという間に逝ってしまった。
なんてことを店先でぼんやりと考えていたら、お客が来た。
「いらっしゃい」
おや、これは珍しい。外人のお客さんじゃないか。背がスラッと高く、目が覚めるような色白で、青い目をした、まぶしいくらいの金髪のロングヘアだ。こりゃあこの街では滅多に見かけないような美人だね。
俺は自慢ではないが海外旅行なんて大それたものはいっぺんだってしたことがない。こんな金髪美女を一度でいいから見てみたいと思っていたから、これはなんという僥倖。こんなラッキーなこともあるもんだ。しかし、こんな田舎の商店街に、いったい何しに来たのかね。はて、近くに観光地かなんかあっただろうか?
その人は、俺の声に反応したのか、こちらを向くと、はにかんだような笑顔を見せた。いや、しかし、いいもんだね。美女のはにかみってのは。きっとこういう人は、くしゃみなんかしても、きっとそこいらのおたふくなんかよりもずっと素敵に見えるんだろうな。
「いらっしゃい。外人さんかね。ここいらに外人さんが来るなんて、珍しいこともあるもんだね」
その人は下を向いて駄菓子を物色していたが、私が話しかけると顔を上げて再びはにかむように微笑んだ。すぐにまた下を向いて駄菓子を物色し始める。
「何をお探しかね、お嬢さん。といっても、俺の日本語通じてるかな」
こちらから何か話しかけると微笑みかけてくれるが、うんともすんとも言わない。これは日本語がわからないらしいな。困ったな。自慢じゃないが、俺に英語なんてできるわけがない。
「どうやら日本語わからないらしいね。まあ、ここは駄菓子屋だ。日本語ができなくて困るようなものが売っているわけじゃあない。ほっぺたが落ちるような高級な代物が置いてあろうはずもないんだ。ゆっくり見てくといいさ」
実のところ、俺はそんなに困っていたわけではない。金髪美女がいてくれるのは嬉しいし、日本語がわからないのは、逆に近頃の女だか男だかわからないようなギャルのように憎まれ口を叩くこともないから、かえって好都合だぐらいに思っていた。
しかし、なんだね。美女ってのは、その場にいてくれるだけでこちらの心を癒してくれるというか、ありがたい存在だね。
こちらが何か言うたびに、こっちを向いてニコッと微笑んでくれるものだから、嬉しくなってどうでもいいことまで喋り続けていた。
「こいつがモロッコヨーグルト。ヨーグルトはわかるよな、きっと。なんでモロッコかは知らないけど、駄菓子の名前なんていい加減なものさ。モロッコにゃこんなもの売ってないだろうね。こっちがフルーツ餅。俺はこれ子供のころけっこう気に入ってたんだ。甘酸っぱくてなんかいいよな。日本にゃ駄菓子系美少女なんて言葉もあるけど、きっとあんたも子供のころは、こういうのが似合うかわいらしい子だったんだろうな。こっちゃチョコハブラシ。虫歯になりたきゃ、こいつで歯を磨くことだぜ。フフフ」
冗談が通じてんだか通じてないんだか、何言ってもニコッと笑ってくれる。あー、なんだね。いいね。言葉が通じなくても、ニコニコしててくれるだけで、こんな人に一つ屋根の下で暮らしてもらえたら幸せだね。
なんて下卑たことまで考えていると、その人は急に「コレクダサイ」と片言の日本語で言って、ベビースターラーメンを差し出した。
う、なんだい。日本語わかるのかよ。って、何か変なこと言わなかっただろうな。昔から余計なことまでついうっかり喋ってしまう性格だもんだから、不安になるな。とはいえ、片言なんだからそんなに心配することないか。
俺は100円でお釣りを出して、その人に渡した。今時、大の大人の買い物が100円以下で済んでしまうというのもさもしいが、ここは駄菓子屋だ。大人も子供も関係ないさ。俺たちにとってはただのベビースターラーメンだけど、この人にとっちゃ珍しい異国の珍味に違いない。
「はいよ。お嬢ちゃん、かわいいからこれサービスでつけとくよ」
と言って、俺はフルーツ餅を一つまけてやった。
その人は戸惑ったような表情で俺を見ていたが、「サービス、サービス」と言うと理解してくれたのか、微笑んでくれた。ああ、いや、微笑んでくれたと言うと語弊があるな。控えめに言って満願の笑みを浮かべてくれたよ。まるで子供みたいだね。あるいは好きなおもちゃを目の前にぶら下げられた子犬みたいな表情を浮かべたね。
俺が冗談で「また来いよ」と言うと、その人はパアッと顔を輝かせてウンウンと頷いた。白いおててをヒラヒラさせて、何度もこっちを振り返りながら帰っていった。
ありゃあ、いったい何だったんだろうな。どっちに帰るのかと思って俺が店の前に出てみると、随分と足が速いもので、もうどこにも見当たらない。
代わりに見えたものといえば、風呂屋帰りの魚屋の親父がフルチンで歩いていくばかりだぜ。完全にアウトだが、この商店街では普通に見慣れた光景でもある。
「おう。駄菓子屋の大将。どうしたんだよ、万年引きこもりのお前が店の前に出てくるなんてのは」
せめてパンツを履いてから話しかけて欲しいものだが、ここはある種の治外法権が働いているのだろう。国土地理院発行の地図にも載っていないに違いない。
「いや、さっきこの辺で外人を見なかったかい」
俺がそう言うと、魚屋の親父は何バカなこと言ってんだい、といった表情を浮かべた。
「お前さん、頭がどうかしちまったのかい?ここいらに外人なんかいるわけないじゃないか。日本人だってろくすっぽいやしないんだから。お菓子だけに駄菓子の食べすぎでおかしくなっちまったんだろう。それともお前さんとこの駄菓子には変なもんが入ってるっていう噂は本当だったのか」
「バカ言え。そんならもっと売れてるさ。それより、お前んとこの魚屋もメザシ以外も仕入れとけ」
魚屋の親父は何かを毒づきながら帰っていった。目糞鼻糞を笑うとはこのことだ。
まあ、そう思うのも無理はないか。しかし俺はフルーツ餅の在庫が一つ減っているのを見て、あれが幻じゃなかったことを確認した。
次の日、その人は再び店にやって来た。
「お、お嬢ちゃん。また来てくれたんだね。嬉しいね。ベビースターラーメンどうだったい?うまかったかい?お嬢ちゃんの国じゃ、あんなもの売ってないだろう」
その人はまたこちらを向いてニコッと笑ってくれた。
「ここには珍しいもんがあるだろ。ゆっくりしていきなさい。ところで、人の身の上を詮索するわけじゃないけど、お嬢ちゃんは観光かい?それとも留学生かい」
その人はときどき片言で「ソウ」とか「コレ」とか言うんだけど、どうやら日本語がわからないときはこっちを向いてニコッとするらしい。
まあ、いいや。言葉が通じなくて不自由するような商売でもないし、こちとらこの笑顔が見られりゃ大満足なんだから。
今日もベビースターラーメンを買っていったその人に、今度はうまい棒をサービスしてやる。
「また来いよ」と言うと、やっぱり満面の笑みを浮かべて手を振って帰っていった。
まあ、日本語もできないし、あの様子じゃ観光だろう。もう二度と会えないかもしれないな。
ところがどっこい。その人は次の日もやって来た。
「おや、これはまた金髪のお嬢ちゃんじゃないの」
俺は嬉しくなってしまって、調子に乗ってあることないことベラベラと喋り立てるんだが、昨日一昨日よりも片言で返してくれる回数が増えている。
それでやっぱりベビースターラーメンを買って帰っていく。よっぽど気に入ったらしいね。
「また来いよ」
期待してはいないが、こう言うとまるで宝くじにでも当たったかのような満開の笑みを見せてくれた。
「お嬢ちゃん、そんなにここに来るのが嬉しいのかい。そんなら、いっそのことここに住んじゃいなよ」
言ってしまってから後悔した。やれやれ。軽口にも程があるぜ。変に受け取られたらどうすんだ。
ところがどっこいも二度目となれば驚天動地である。次の瞬間、信じられないことが起こった。
その人はまるでマイケル・ジャクソンの遺産相続をしてレアル・マドリードとニューヨーク・ヤンキースを一度に手に入れたかのような記念碑的な微笑みを浮かべて、
「フツツカナムスメデスガ、ヨロシクオネガイシマス」
ときたもんだ。
キツネにつままれたような顔をしている俺を尻目に、スタスタと奥へと上がっていった。
「あ、おい」
慌てて俺も後を追う。今日は何の日だったかとカレンダーを見るが、いたって普通の日であった。昭和と平成と令和が同時に始まった日だとしても不思議ではない。あるいはエルビス・プレスリーの生存が確認されたか。
「ちょ、ちょっとお嬢ちゃん。中に入ってもらっちゃ困るよ。あ、いや、実のところ別に困るってもんでもないけど、慣れてないもんで」
俺は42にもなって何を言ってんだろう。とはいえ、この家におふくろ以外の女の人が上がったのなんて、何十年振りのことだろうか。
「へ?いったい何してんだい」
その人は台所で俺に後ろを見せて立っていた。いつの間にか腰には昔おふくろが使っていたエプロンまで巻いている。
トントンというネギを切る音。しばらく忘れかけていた味噌が煮える匂い。鍋から立ち昇る蒸気。こ、これは味噌汁を作ってるんじゃないだろうか。
いや、正確に言うと、女の人が俺に味噌汁を作ってくれている。しかも、金髪の美女が。
いやはや、やっぱりウチの駄菓子に変なもんが入っていたんだろうか。
「アナタ、サキニオフロニハイッテクダサイ」
「へ?ああ、風呂ね・・・」
いつの間にお湯を沸かしたのだろう。ウチの風呂は、まだ蛇口をひねればお湯が出るタイプの風呂ではない。湯が沸くには、それなりに時間がかかる。
半信半疑で風呂場に行ってみると、これがちょうどいい湯加減になっていた。
「俺は夢でも見てるんだろうか」
人生で決して言うことはあるまいと思っていたセリフを独りごちて、俺はまるで熱病に冒されたかのように風呂に入る。一応、ちゃんと服を脱いで入れたらしい。
風呂から上がって、できるだけ新し目の下着を身につける。いつもは裸でプラプラしているが、風呂場を出る前に服を着る。期待してるっていうわけでもないが、いや、期待してもいいのか?
台所に行くと、豆腐の味噌汁にブリの照り焼き、肉じゃがにお新香、そして炊きたてご飯の豪華な夕食が用意されていた。おまけによく冷えたビールまで用意されていた。正真正銘、紛うことなき純正のビールだ。
「へ、こりゃあ、なんだ。全部あんたが作ったのかい」
全部俺の好物ばかりじゃねえか。しかし、ブリの照り焼きなんて何十年振りだ?男一人だと、どうしてもインスタントラーメンが多くなっちまう。
あれ?ブリなんて買ってあったっけ?だって、ここの商店街の魚屋じゃ、メザシより高いもんは置いてないぞ。だいたい、外国人のこの人がどうして和食の作り方を知っている?
「ワタシハアナタノヨメデス。アナタノスキナモノツクリマシタ」
嫁。嫁って言ったんだよな。今。
よ、嫁。嫁。嫁。嫁が、金髪。
俺は人生初のシチュエーションに完全に舞い上がり、どうしてこの人が俺の好きなものを知っているかという、基本的な疑問を追求するのを忘れていた。これでは野党議員にはなれそうにない。
「ワタシハ、エヴァデス。アナタトケッコンスルタメニキマシタ」
「へえ、エヴァさんっていうのかい。外人みたいな名前だね。あんたにはよく似合ってるや」
いや、今のエヴァさんの発言の中で、もっと拾わなきゃいけない部分があるだろう。
俺は完全に舞い上がっていた。あるいはのぼせていたのか。エヴァさんの作る料理は味も完璧で、俺はすっかり疑うことを忘れていた。
そんなこんなで、エヴァさんは俺と一緒に暮らすことになった。このことは商店街始まって以来のビッグニュースになり、連日、エヴァさんの顔を一目拝もうと、人生の98パーセントを諦めたような商店街のクソ店主たちが覗きにやって来た。
まあ、俺はこいつらとは違ってまだ人生に希望を持っていたからよ。
こら、魚屋の親父。パンツぐらい履けってんだ。
他の連中がいるときは、エヴァさんには日本語がわからないフリをしてもらい、俺たちは適当なフランス語で会話した。ブーブーボンボン言っときゃ、それっぽく聞こえらぁ。嘘を見抜ける奴がここにいようはずもない。
相変わらず客足はさっぱりだったが、俺は幸せの絶頂にいた。人生、諦めなければ道が開けるってもんだぜ。
エヴァさんの日本語も日に日に上達し、もうほとんど日本人と変わらないまでになった。正直、日本で何十年と暮らしているここの商店街の連中より日本語がうまい。
半年程が経った頃、嬉しいことが起きた。エヴァさんが懐妊したのだ。
そこで初めて気づいたのだが、俺たちはまだ籍を入れていなかった。そういやあ、国際結婚ってどうやるんだろう。
あんまり過去をほじくるのも男の甲斐性に関わると思って今まで聞かずにいたけど、エヴァさんの両親のこととか、知っとかなきゃいけないだろう。
俺がそろそろそういう話も切り出そうかと思っていると、エヴァさんのほうから話しかけてきた。
「今マデドウモアリガトウゴザイマシタ。子供ヲサズカルトイウ目的ガタッセイサレマシタノデ、ワタシハ金星二カエリマス。カクシテイテゴメンナサイ。ワタシハ地球人トケッコンシテミタカッタノデス」
それを聞いたときの俺は耳を疑ったが、意外と冷静だったのを覚えている。
そうか。エヴァさんは金星人だったのか。そりゃそうだよな。でなけりゃ、こんな夢みたいなことが起こりっこないもんな。
「エヴァさん、あんたが金星人だってことはわかったよ。でも、ひとつ聞かせてくれないか。あんたはどうして俺んとこに嫁に来たんだい」
「ワタシ、昔カラ地球人ノボーイフレンド欲シカッタ。ソコニ理由ハアリマセン。アナタ、ムカシカラ金髪ノ美女ガスキダッタ。ソコニモ理由ハアリマセン。ワタシ、金星人。科学ガ発達シテイマス。ワタシ、自分ノ夢ヲ実行デキタ。デモ、モウ満足。一度ヤッタラ満足。ソレ、地球人ト一緒。科学ガ発達シテモ、人間ハ変ワラナイノデス」
そう言ってエヴァさんは金星に帰っていった。
薄情な話だと思ったけど、エヴァさんと過ごした日々は俺にとっては身に過ぎた果福だったのだろう。たった半年だったけど、あんな金髪美女と結婚できたんだ。それ以上に望むことなんてねえや。
ただ、エヴァさんは俺の現状を哀れに思ったのだろう。それから毎日、金星人の知り合いをよこして、店に客足が途絶えないようにしてくれた。
しかし、金星人ってのは、あれだね。男も女も、どいつもこいつも金髪で背の高い美男美女ばかりだね。
しかし、エヴァさん、さあ・・・。
毎日客が来るには来るんだけど、1日1回、ベビースターラーメン1個だけ買って行かれても、なあ・・・。
たまには店を休みにして旅行でも行きたいんだけど・・・・・・。
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