2/11 金曜日

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2/11 金曜日

 アーケードの天井にまっすぐ並んだガラス窓から、これでもかと陽光が降り注いでいる。それなのに歩く人はまばらでシャッターが下りている店も少なくない。  色褪せた赤い暖簾(のれん)に中華と白文字で書かれた店は間口が狭くて奥に長い。片側にテーブルと椅子が並び、奥の調理場から出てきた店主がカウンターに座っていた。油や調味料の染みが残った料理着姿のまま、入り口近くの壁にかかったテレビを眺めている。画面には午後のワイドショーが流れていた。  客は一組だけ。店の中ほどのテーブルに向かい合って座っている。  テレビを背にした肩幅の広い男はダッフルコートを着たまま大盛りの炒飯を口に運んだ。 「大藪(おおやぶ)くんはいつも美味しそうに食べるよね」 「だって美味いもん。北条さんも一口食べてみる?」  大藪が八角形の皿を前に押し出した。  グレーのスーツを着た北条は歯を見せずに口角を上げて目を細める。 「いや、遠慮しておくよ。は体力を使うんだからしっかり食べて」 「そうなんだよ、家庭教師って腹が減るからね」  大藪は皿を手前に戻すと、にぃっと笑った。  テレビでは韓流アイドルの特集をしている。  北条は頭髪の薄くなった頭に汗を浮かべたまま醤油ラーメンをすすった。  二人の真ん中に置いてある餃子の皿へ、大藪が箸を伸ばす。 「で、次の仕事はあるの?」  白いレンゲで炒飯をすくいながら顔を上げずに大藪は訊ねた。 「いや、依頼はない」  白いレンゲでスープを口にする北条も顔を上げない。 「急な仕事は無しにしてよ。少なくとも準備に二週間は必要だし」 「分かってるよ。僕は大藪くんのやり方が好きなんだ。だから誰でもいいわけじゃなく、キミに相応しい相手を選んでる。いままでも無茶な依頼を持ってきたこと、無いでしょ」 「そうだね」  残っていた最後の餃子に二人の箸が同時に伸びた。  先に大藪が手を引っ込める。 「こういうときはさ、ぱぱっと餃子を二個に増やしてくれたらいいのに。マジシャンなんだからさ」 「それは難しいなぁ。タネを仕込むにしても、どちらか一つが冷たくなってしまうよ」  笑顔で勧められた北条が餃子をほおばった。  食事を終えた大藪は背もたれに寄りかかる。 「そうすると、しばらくは暇になるってことだよね。ちょうどよかった」 「また何かお金にならない仕事をするの?」 「お金を取らないんだから仕事じゃないよ。あ、でも今回は先に品物をもらっているんだった」 「報酬の代わりに?」 「山田にとっては、もういらないものなんだってさ。でもやるかどうかは分からない。相手の返事次第、って約束だから」 「何だかよく分からないけれど、キミのことだから抜かりはないんでしょ」 「北条さんには迷惑かけたこと、無いっしょ」  そう言って親指を立てる。  テレビからは、アイドルのファンたちが自慢の手作りグッズを紹介する声が流れてきた。  北条が画面を見上げる。 「へぇ、あれが彼女たちの推し活なんだ」 「なに、オシカツって」  ふり返ってテレビを見ようともせず、大藪がけげんそうな顔のまま続けた。 「カツを押してどうするのさ。押すなら寿司でしょ」 「なるほど。手作りの押しカツか。ありそうだね」 「そんなのつぶれちゃって、絶対に美味しくないって」  鼻にしわを寄せた大藪を見て、北条はうつむいて笑みをもらした。身を乗り出して、テーブルの上に指で字を書いて大藪に見せる。 「推し活って、お気に入りのアイドルや歌手とかを応援する活動のことなんだよ」 「なんだ、それなら北条さんが好きなバンド……えっと……なんて言ったっけ……」  北条は隣の椅子に置いていたカバンの中からCDを取り出した。ジャケットには男性が四人、演奏している写真で構成されている。 「Blow(ブロウ)だよ」 「そう、それ。北条さんも推し活ってことでいいんだよね」 「うん。でね、今日来てもらったのもこれをキミに渡したかったから」  CDを受け取ると、大藪はジャケットを眺めてからひっくり返して裏面を真剣な眼差しで見ている。 「新しくライブ盤の自主製作が出たんだ。よかったら聞いてみて」 「ここに書いてあるの曲目だよね」 「そうだよ。メロディアスなロックで疾走感のある曲が多いから、気分を上げたいときに良いと思うよ」 「前から思ってたんだけど、北条さんみたいなオジサンがライブハウスにいると浮いちゃうんじゃない?」 「まぁ若い人が多いけれど、そのぶん目立つからメンバーにも顔を覚えてもらっているし、声もかけてくれるからね」 「すごいよなぁ。こういうのってさ、まわりに買わせようとする奴がいるでしょ。北条さんはそうじゃなくって、自分で買ってきてプレゼントしてくれるんだからなぁ。まさに推し活だね」  覚えたての言葉を、大藪は嬉しそうに使っている。  ワイドショーの話題が切り替わり、極秘来日していたブータン王国の王子が羽田空港から離日するときの映像が流れた。  突然、大藪が振り返ってテレビを見上げた。 「俺も推し活してた! 俺の推しはアイツだよ」  画面に向かって指を指す。そこには十歳と表示された少年の顔があった。映像が引いていくと、彼の後ろに立つボディーガードらしき男も映った。黒い山高帽をかぶり、周囲に鋭い視線を送っている。 「ソナムはいいヤツなんだよ。まだこどもなのに礼儀正しくって。やっぱ王子というだけあるよな」  テレビに目を向けたまま一人でつぶやく大藪に、北条は困惑を隠せない。 「ちょっと大藪くん、ブータンの王子と友達みたいな口ぶりだけど、何で知ってるの? 王子はインスタかツイッターでもやってるの?」 「たまたま神様がソナムのことを見ていたんだよ。だから俺の前に突然現れたんだ」 「また神様の話? まったく話が見えてこないけれど」 「ちょっと待って」  大藪はチノパンのポケットから取り出したものをテーブルに置いた。  折りたたんだ紙切れだった。 「これ、何だと思う?」  紙切れを開くといくつもの数字が並んでいる。その数は全部で十四。  のぞき込んだ北条が顔を上げた。 「何これ。暗号みたいだね」 「そう。暗号だったんだよ。ソナムから俺へのメッセージだったんだ」 「え、王子からもらったの?」 「推しからプレゼントをもらうなんて最高でしょ」 「どういうことなのか、まったく分からない」  無表情でつぶやいた北条も、屈託(くったく)のない大藪の笑顔につられて口許(くちもと)がほころんだ。  大藪は袖をまくって(いか)ついダイバーウォッチに目をやると紙切れを折りたたみ、もらったCDと一緒にポケットへ入れた。 「それじゃ、お先に」そう言って立ち上がった彼の背中へ、店主が奥から「あざぁしたー」と気のない声をかけた。
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