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プロローグ〜white〜
「僕はね、従業員には手を出さない主義なんだ。」
その男は左薬指に在るキラリと光るシルバーに触れながら言った。
見事、心臓を刺された様な錯覚を覚えたレイナは後ずさる。
いや、決してレイナが愛を唱えたのではない。
目の前に居る男が勝手に宣っているだけなのだ。
「マスター。私、そんな風に接しておりましたでしょうか?」
建前上、師匠であるこの男を立てなくてはならない。
なんせ今は客も居る営業時間であるから然り。
「マスター、また腑抜けるんか?」
常連客である山本が溜息混じりに言う。
すると悪戯そうな口元を綻ばせてマスター、藍崎が返す。
「いや、だってさー。この子、なかなか首を縦に振らないの。僕のこと、大好きな癖に。」
「藍崎マスター、怒りますよ?」
音を立ててグラスを棚に戻すレイナに更に畳みかける。
「僕が既婚者だからってさ、なーんで遠慮するのかな?」
「当たり前ですよ。」
若干、こめかみの辺りに筋が立ちそうな従業員の頬に指を食い混ませながら揶揄うその男はレイナにとって悪魔でしかない。
「はぁ…。マスター、私明日レッスン早いので上がります。」
「はいはぁ〜い。」
「レイナちゃん、またね。」
マスターと常連客に見送られながらバックヤードに引っ込む。
アップスタイルで纏めていた栗色の髪を解く。
纏めていた為で妙に癖が付いている自身の髪が色っぽくて不覚にもドキリとしてしまう。
(自分に酔うだなんて、今日は飲みすぎたかな。)
微かに音がして振り向くと藍崎が居た。
「レイナ、お疲れ。」
目元だけニコリと歪めて労いの声をかけてくる上司にレイナは思わず反発する。
「マスター、お客様の前で紛らわしい発言は止めてくださいね。」
「何が紛らわしい??」
ん?と顔を覗き込んでくる上司に若干の苛つきを覚える。
「君はねー、覚えてないだけなんだよぉ?」
「…はぁ。」
適当に上司をかわして裏口から出てすぐに色の濃い口紅を引いた女とすれ違う。
レイナは軽く礼をするが女は無視して通りすがる。
(マスターの嫁。今日も嫌な感じ。)
なんとなく、灰色の様なモヤモヤが心の中に広がった気がした。
先程に微に感じた苛つきが確実に色づいていく。
今夜もきっと、睡眠薬の世話になることだろうとレイナは思った。
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