十 思い出話

1/1
前へ
/20ページ
次へ

十 思い出話

 優果と志生が家に着くと、日向でほかほかのふわふわになった透が二人を迎えた。年末は一緒に過ごしたいという優果の希望のもと、二人と一羽は特に予定もなく集まっている。 「正月飾りを作ろうと思うんだけど、優果もどう?」  志生が持ってきた藁で、二人は小さな正月飾りを作った。  ほどけないように根もとを縛った稲藁の束を、二つに分ける。それぞれ右巻きにすり合わせていく。出来上がったら、その二本を今度は左巻きにすり合わせる、という作業を志生は丁寧に教える。 「手指が思うように動かない」 「ゆっくり、考えすぎないようにね。私もはじめは頭がこんがらがった」  今の志生の手は迷いなく動いている。二人の手もとには一本のしめ縄ができあがった。それを円にして、細くひも状にした藁で固定する。そのつなぎ目にあたる部分に、少しの稲穂を結び付けて飾る。 「豊かな一年を祈って、稲穂をつけるんだよ」  志生は出来上がった正月飾りを大事そうになでた。 「シンプルでかわいいね」と透が身体をひねりながら二つの飾りを見ている。優果も共感を示すと、志生が嬉しそうに言った。 「二人もそう思う? 私、この稲の色だけの小さな飾りが、とっても好き」  二つの正月飾りは、玄関扉の内と外に飾られた。 「ねえ志生、飾りってお正月が終わったら神社に持っていって、焼くんだよね。取っておいても、いいかな」 「本当はよくないのだろうけど、今はインテリアとしての正月飾りもあるくらいだし、優果が気にならないなら、いいんじゃないかな」  優果は嬉しそうに正月飾りを見つめた。  日が高くなり寒さが和らぐと、志生が作ったお昼ごはんを食べた。透はしっかり食べるようになり、優果はごはんがおいしく感じられるようになって、食事は共通の楽しい時間になった。 「体調はどう?」と志生が透に尋ねる。 「この身体にもだいぶ慣れてきた。うまく飛び立てるし、括約筋は相変わらずだが、食べ物のおいしさを感じる。鳥として声を発することも、難なくできるようになってきた。身体も心も、軽い気分だ」 「よかった」  そう言いながらも、志生の表情には影が落ちていた。よかったというのは本心である。死の淵にいたという透が、身も心も軽いと言っているのだから。  しかし、透は確実に鳥に寄っていた。  優果は透の顔を思い出そうとした。笑ったり、眠そうだったり、そういう生きている透の顔。思い出される顔は、本当にその通りだったのか、優果は自信がなかった。鳥の、美しく光る黒い目を見つめる。瞳の奥できらめいている生命は、鳥の息づかいをしているのだろう。透の目には、耳には、どのように世界が流れ込んでいるのか。 「大学四年生に上がる前の、春休みにさ」と志生がこぼす。「山登りしたよね」  ああ、と優果と透は息をもらす。遠くの記憶がぐっと引き寄せられて、目に景色が浮かぶ。数年前の二月、春を秘めた色の少ない山。登り切ったときは、眼下に街並みが広がり、その向こうに、離れるにつれてだんだんと薄青くなっていく山々が続いていた。  あの鉄塔、さっきいたところだよ、と山の中に埋もれかけた鉄塔を指さす透の姿を、優果は思い出す。こんなに歩いたのか、とぽっかり驚いたのだった。 「あの時、山頂の岩の上で」と志生が遠くの山々を見やるような目で言う。「ここから飛び立ったら、どんなに気持ちがいいだろうって、透が言ったことを覚えている」   頂の露出した山肌の上は、充分歩くことができた。ただ、柵も何もないので、うっかりふらついたらと思えば大変恐ろしい場所だった。  ここから飛び立ったら、どんなに気持ちがいいだろう。それは、飛び降りるという意味ではなく、飛び上がることを想像した透の言葉だった。  当時は誤解が立ち込めて、優果も志生も透をぎゅっとつかんだのだった。ちがうよ、と透が笑って、鳥のように飛び立つのだと説明したが、二人は透を離さなかった。  志生が「ここまで来るのに飛び立ったときは、気持ちよかった?」と尋ねる。  透は、首をひねりながら答えた。 「正直、覚えていない。ただ、家にいたくないという一心のみで飛び出して、必死だった。今は部屋の中で、移動手段として軽く飛ぶだけだが、それでも疲れる。気持ちいいとは感じないんじゃないかな」  飛ばないでほしい、と優果は密やかに思う。飛べるようになったら、ふいにここを出て行ってしまうかもしれず、窓も扉も簡単に開けられなくなる。それは優果の手で、透を閉じ込めることを意味する。透がここを出ていきたいと言ったとき、窓を開けなければならないのは、優果だ。  優果は、透がここにいてくれるように願っている。志生は、人に戻ってほしいと願っている。  鳥になる前に透を引き留められたらよかった、と優果は何度目かわからない考えを巡らせた。 「みかん食べたい」と透がつぶやいたので、優果は考えを振り払うようにさっと立ち上がった。 「あ、二人が食べるときにもらえればいいのに、ごめん」 「ううん、いいの。いいんだよ」  優果は手際よくみかんをむいて、小皿に実をのせた。出ていくと透が言ったときには、すぐに窓を開けられますように、と祈りながら、優果もみかんを口に入れた。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加