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十五 優果のうろ
燦燦と日が差す雨上がりのベランダで、洗濯物が揺れる。ひとつひとつ、ゆっくり干していく優果は疲れた顔をしていた。
年末年始の休暇が終わると、優果の帰りは遅くなり、家ではノートパソコンや教本と向き合っている時間が増えた。資格試験も近いからと、食事や睡眠の優先順位は下がっていった。夜の川面を見ていたときの感覚を優果は思い出しつつあった。夜が遅いため、志生の訪問は休日か、もしくは断られることが多くなった。食べる元気がない日の優果は金平糖をつまんでいたので、小瓶はもう空になっている。
休日は教本の上で、パチンと眠ることがあった。透からそろそろ休憩したほうがいいんじゃないかと言ったところで、優果は首を横に振る。そこで透は、おやつの時間になると果物が食べたいと頼んで、休み時間を作らせていた。
先週、ようやく資格試験を終えた優果は、今日やっと志生に来てもらう約束をしていた。ただ、あまりにも眠いので、志生が来る前にお昼寝をしたかった。したいのに、身体は重く、さっさと干し終えたい洗濯物は思うように減らない。
洗濯ばさみが、タオルをつかみそこねた。優果の手からタオルがすり抜けて、雨が残る足もとに、落ちた。
洗いなおさなければいけない。優果の眠そうな目は、水がいっぱいだったことを思い出したバケツのように涙をこぼし始めた。
拾おうとしてしゃがんだ優果は、そのまま腕に顔をうずめて動かなくなった。
優果の動く気配がなくなって、どうしたのかと透が飛んできた。落ちた洗濯物と優果を見た透は、慌ててティッシュをくちばしでつまみ、素早く優果の肩に飛びついた。ティッシュを腕の隙間にねじこんで、「優果」と呼びかける。返答はない。震える肩に留まったまま、透は汗ばんだ首もとに寄り添った。
透は考えていた。小鳥は、ティッシュのような軽いものなら運べるが、落ちたタオルを拾うことはできない。優果の代わりに手洗いしてあげることもできない。泣いている優果に寄り添うだけの自分は、とても小さい。透はささやくように、フェと鳴いた。
その声を聞いた優果は、肩に透がいると気が付いた。小鳥の透の、虹を散らす羽が、まぶたの裏に浮かぶ。
透は、おはなしを語ったり、歌ったりすることができる。でも、自分には物語もメロディーも聞こえない。透のようにキラキラ光ることもできない。
今日も来てくれる、いつも心配してくれた志生を思い出す。本も服もほとんどもたず、慣れた土地と生活を離れていった、身軽な志生。
優果には捨てられないものが多かった。どんなに今が苦しくても、今の生活上にある衣食住を捨てようと思ったことはなかった。食べてみたいもの、着てみたいもの、行ってみたい場所。しかし、仕事に追い立てられて、捨てられなかったものは目を背けるばかりのものになりつつあった。今ここには、ひたすら重たいばかりの身体が残っている。
それでも続けてきた生活だ、と優果は落ちたタオルをひっつかんで立ち上がった。驚いた透は部屋に入る。
手と顔をばしゃばしゃと洗ってから、落としたタオルも手洗いする。そのまますべての洗濯物をがんがん干し終えた。
窓が閉められる。部屋の中はしんと明るい。
床に座り込んだ優果は、小鳥を目にした。「私も鳥になりたい」とかすれた声で吐き出すと、そのまま床に突っ伏してわあわあ泣いた。
透はただ身を寄せることしかできなかった。泣き疲れて、そのまま眠ってしまった優果を見て、一度、毛布のところへ飛んだ。しかし、運ぶことはできなかった。優果のそばに戻ると、手もとにぴったり寄り添って、祈るような気持ちでじっと志生を待った。
日が傾いて、金色の光がそこらじゅうを照らし始めた頃、チャイムの音が響いた。はっと優果が顔を上げたので、透はやわらかに羽ばたいて机に乗った。
玄関の扉が開けられて、優果を見た志生の「どうした」というやさしい声が、透にも聞こえた。
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