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十八 呼応
いつもの朝、透と挨拶を交わしてごはんを食べる。優果が望んだ形の休みの日。窓の外では洗濯物が静かに揺れている。
午前中のうちに食材を買いに行った優果は、帰ると窓を網戸にした。お昼の時間が近い。透の部屋の窓はおそらく渉が開け放っているので、同じように、寒くも気持ちのよい風が通っていることだろう。
昼食の準備をしようと優果はキッチンに立った。ネギとうどんを茹でるだけである。
優果は昨日、普段から自炊できたらと思い、志生におすすめの料理を尋ねた。冬至や年末年始に、志生が食卓を彩ってくれたように、自らも色とりどりにご飯を作りたいと思ったのである。
優果の意に反して、「うどん」と志生は答えた。そうじゃなくていろんなおかずの中から、と言いかけた優果に、志生はゆっくり言った。
「いろいろやりたいっていう気持ちも、身体が動きそうな感覚も、すごくわかる。でも、いきなりこまごまと作ろうとしたら、疲れると思うよ。実際に私がそうだったんだ。だから、混ぜご飯とかうどんとか、パスタとかみたいな、大きい一品から作り始めるのが、私のおすすめ」
優果は、そういうものはコンビニ弁当で食べ飽きていると思いながらも、オムライスやナポリタンを思い浮かべた。すると、頭の中に浮かんだのは、レンジで温めて食べる容器に入ったものではなく、ほかほかとお皿に乗っているものだった。
「志生のいう通り、大きい一品からにしようかな……明日はうどんにする」
「おお。それならついでに、うどんに合う、とても簡単なおかずを教えるよ。ちょうど今から作るんだ」
そう言って志生は、ほうれん草のおひたしを優果に作らせた。醤油、みりん、お酒、かつおだしが絶妙な割合のおひたしは、少し寝かせただけでもおいしい。
よく染みてさらにおいしくなるようにという期待とともに、昨夜から冷蔵庫で眠っている。
ゆっくりネギを切る音が、透の身体に心地よく響く。透は、窓から入るそよ風にあたりながら、離ればなれになって眠り続ける身体を思った。とんとんと刻まれ、さらさらと流れる生活の中で、優果と志生の声を、透は胸に響かせた。
透、透……胸の中でくり返された音は、ふと、「透」とくちばしからこぼれた。自らの名前を声にした瞬間、透はぶわっとふくらんで身震いした。気持ちよく空に飛びだしていくような感覚が駆け抜けた透は、その場で羽ばたいた。
キッチンの音は止んで、優果は透を見つめていた。気持ちのいい風が部屋の中に満ちる。
「行くんだね」
優果は静かに言った。
「たぶん」
窓辺に寄って、優果は網戸を開け放った。陽光につつまれた外は、のんびりしたお昼の空気が漂っている。
「いってらっしゃい」と優果は、いつも透が言っていたように言う。
「いってきます」
小鳥は翼を大きく広げた。力強くはばたき、小さな風が起き上がって、光がちらちらとはじける。細い足が窓のふちを蹴り上げて、身体は宙にふわりと放り出される。全身をすくいあげるように風が吹いて、遠く澄んだ青空の下を、小鳥が素早く飛んでいく。
白い光はあっという間に見えなくなった。うららかなお昼がしんしんと広がっていく。
換気扇の音が、しだいに優果の意識を部屋の中へと引き戻した。
後悔しないうちにと優果は窓を閉めて、レースのカーテンを引く。窓を背にして、しんと寂しさが立ち込めるのを優果は感じた。自身ひとりしかいない空間から目を背けるように、床を見る。
そこには羽根が落ちている。ひとつだけ、綺麗な形をそのままにして、透明にきらめく羽根があった。
優果は大事に拾い上げて、部屋の中と向き合う。
殻付きのシード、水飲み皿、タオルの小さなベッド、透がしきりに見ていたキラキラのビーズ。
指先の羽根は動かされるたび、虹をささやく。
冬の常緑樹のような深緑色のセーター、何度も読み返した白砂色の冊子、まだ読み終えていない小説、思い出を秘めた星の指輪。
指先の虹は、空になっていた小瓶に、そっとしまわれた。あたりは、透きとおった風になでられたものたちの、穏やかなひそめきに満ちている。
志生に連絡を、と探されるスマホは、タイマー代わりに使われようとしたままキッチンにある。やりっぱなしをしばらく見つめた優果は、お昼ごはんを食べてからゆっくり文面を考えることにした。
お昼の時間がゆるやかに流れてゆく。
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