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四 三年ぶりの再会
ピカピカの日曜日、優果の最寄り駅付近で、荷物の多い人が落ち着かない様子で地図を見ていた。彼女は細身だがしっかりした体つきで、きりりとした目の人だった。
「志生」と確かめるように優果が呼びかけると、ショートの髪をぱっと揺らして振り返ったその人は「優果」と明るい声を上げた。二人は思わず抱き合った。志生にぎゅうと抱きしめられて、くるしいよ、と優果は笑った。
透はすでに来ていると優果が伝えて、二人は買い物をしてから家に向かった。
玄関に入ると、優果は志生の腕をつかんで慎重に切り出した。
「驚かないでほしいのだけど、というのも無理があるけど」
「なに、ちょっと怖いな」
「透がね、鳥になっちゃったの」
「なんて?」
「鳥。透は、白い小鳥なの」
志生は優果の目をじっと見つめて、真剣な顔つきになった。
案内されて部屋に入った志生は、机の上にふっくらと座っている白い小鳥と対面した。志生が正面に座ると、透はせきばらいのようなものをして声を発した。
「お久しぶり。鳥の透です」
志生は、優果と透を交互に見た。
「腹話術?」
「そう、トリックです、鳥だけに」
「ちがいます」と優果が割って入る。志生はじっと鳥を見つめて、「透」と呼んだ。
「会えてよかった、志生」と透は言った。
志生はしばらくぎこちない様子だったが、お土産を紹介しているうちにいつもの調子を取り戻した。お米、ジャム、茶葉、甘い日本酒、木製のビーズ。解かれた荷物からはいろんな楽しみが広がった。
優果と志生は鍋を、透は豆苗をつつきながら話に花を咲かせた。
季節労働者の移動集団に所属している志生は、農閑期となる十二月から二月のあたりは酒造りをしている。三年目は帰省を選択できるが、しない者もいる。志生は、優果と透に会うために帰ってきた。
「志生は、仕事が中心の生活なんだよね」と優果は聞いてみた。
「仕事が中心、たしかにそうだ。でも、中心にあるのは自然かもしれない」
「草木とか、風とか、雨とか」
「そうだね。外の仕事は陽のある間しかできないし、どの時期に何をするか決まっているし……だから仕事自体より、自然のほうに毎日を決められているのかなと思う」
「大変そうだ」
「でも、わるくないよ」
節目のための飾りを作ったり、お祝いのごちそうをこしらえて食べたり、季節や文化の楽しみがあると志生は語った。時々、子どもに混ざって民話を聞き、記録しているらしい。
「方位鳥の話、覚えてる?」と志生は言った。
「透が語った話かな」
「そうそう」
志生は懐かしそうに語った。
「ある館に置かれた風見鶏は、鶏の形をしていない。理由を聞けば、懐かしい人の声を運んでくる方位鳥の姿を模しているのだという。
心に思う人を長らく思い出さずに暮らしていると、ある日、青く澄んだ空に、ほーい、ほーいと不思議な鳴き声が聞こえることがある。見上げると、大きな鳥がすいすいと飛んでいるのだけど、その声は懐かしい人の声に似ているんだよね。ああ、あの人はどうしているかな、と思い出したとき、どう、と、やわらかな風が吹く。あれはきっと、鳥の姿になった風の神さまが、人の声をのせて飛んでくるんだ、と館の主人は言った。そんなことが何べんかあって、風とともに懐かしい人の声を乗せてくる鳥に、この館を見守ってもらおう、と思った主人は、ほーいと鳴く鳥を模した風見鶏を作った。
風の方角を教えてくれる風見鶏だから、ほーいという鳴き声と掛けて、その館の風見鶏は方位鳥と呼ばれている……そんな話だったよね」
志生が小鳥に問いかけると、くちばしに豆苗を付けた透がすんすんとうなずいた。
「よく覚えているね」
「思い出したんだよ。出先にあった山のほうから、ほーい、ほーいというような、よくわからない声が聞こえたことがあって、そのときにね」
「私たちの声に似ていたの?」
「うーん、わからない。でも、優果と透はどうしているかなあと思ったよ」
自分にも方位鳥の声が聞こえたらよかったのに、と優果は思った。透や志生のことを考えられないような毎日から、救われるきっかけになったかもしれないからだ。でも、聞こえていたのに、気が付かなかったのかもしれない。
「耳も目もふさぎたいような日々の中では、鳥の声もきっと届かないよね」という優果の小さな声を拾った透と志生は、顔を見合わせた。
「優果には、ちゃんと鳥の声が届いていたじゃん」
もんやりと首をひねる優果の前で、「ね」と志生は透に同意を求めた。ああ、と優果は顔をほころばせた。
「透の声は、聞こえたね」
くすくすと笑い声が三つ鳴った。
優果の心休まらない日々の話を聞いたのち、志生は透に「なにか、おはなしして」と言った。優果は目を伏せ、透は優果に説明したように語れないのだと言った。志生は目を大きく開き、机に肘をつくと「しかたなし」と目を閉じた。
ほどなくして志生は、透の現状について切り出した。どうしたら人に戻れるのかを考えたほうがいいのではないか、と。
優果はうろたえて口を引き結んだ。透が人に戻ることなんて考えていなかったのだ。今の心穏やかな生活が日常になりえないことを、優果は認めたくなかった。
「人が鳥になる話は聞いたことがあるけど、実際に見たのは初めてだ。どうしたものかね」
「戻ることなんてできないよ」と透ははっきり言った。
「根拠は?」
「この時間が終わったら、わたしはきっと消えるだろうから」
「消える? どうしてそう言い切れるの」
「なぜ追及するの?」と透はさびしそうに言った。「わたしは死に際の最期の夢を見ているのだとばかり、思っているのだけど」
くわ、と透はあくびをした。
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