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「女将を呼べ!」
料亭に響き渡る怒声を聞きつけた女将がおずおずと襖を開けて部屋に入った。
客の顔をほとんど見ることもなく、女将は客の前にひれ伏した。
「お客様、いかがされましたでしょうか」
「どういった了見だ。こんな飯を出しやがって」
「料理に何かございましたでしょうか」
「味が濃いんだよ。濃すぎて、味もへったくれもないぞ」
「申し訳ございません。当店は北陸の田舎料理を出しておりまして、味が濃いのが特徴でございまして」
「北陸?北陸のどこの料理だ」
「福井でございます」
「福井?」
その地名を聞いて、男はふと女将を見た。
白髪が少し混じった後ろ髪がほつれており、小さな肩幅を覆う着物からは細った腕が見えた。畳に置いた手は少し震えている。
「顔を上げろ」
女将は顔を伏せたまま、動かない。
「女将、いいから顔を上げろ」
恐る恐るといった様子で顔を上げた女将の顔を見て、男は驚きの表情を浮かべた。
「やっぱりだ。母さん。母さんじゃないか?俺だよ、マモルだよ」
「もしかして、マモルかい?あのマモルなのかい?」
「母さん!探してたんだよ!」
男は女将の手を取り、涙を流した。
「とまあ、こういったサービスです」
背が低く、顔も小さいのに目だけが異様に大きい男が言った。
ガラスの向こう側では、客と女将がお互いに涙を流しながら見つめ合っている。
「しかしねえ、こんなニッチな商売が成り立つのかね」
「それがですね、旦那。馬鹿にできないんでさ。父子家庭で育って、母親の愛情に飢えた男性は意外と多いんですな」
私の手元には「温泉旅館で生き別れた母子編」と書かれたチラシがあった。
「金も地位も名誉もある男性ほど、母親に愛されたいという感情が強いようです。我々は、そんな男性向けに、生き別れた母親との再会をドラマ仕立てにして提供しているんでさ。何も本物の母親でなくていいんですよ、心の隙間を埋めるのは。母さん、と呼べる場面がドラマチックであればあるほど、お客様は喜んでおられますな」
男はニヤリと笑う。
「どうですか、一度試されては?他にもコースは色々とありますぜ。逮捕した万引き犯が実の母親だったという刑事編、生活保護の申請をしにきた女が母親だった地方公務員編、取引先の女社長が母親だった社畜編、など。そうそう、最近の人気と言えばですな...」
私は生まれつきの大きな目で、のべつまくなしに口を動かすその男をじっと見た。
大金を払って探偵に探させて見つけたこの男は、昔自分の捨てた息子が今自分の目の前に現れたことを知ったら、どんな表情をするのだろうと思い、私は薄笑いを浮かべた。
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