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セアラが近衛兵と付き人とともに寝室へ消えていくと、廊下に二人、グレンとウェスリーが残った。
お互いしばらく最初の一言を探していたが、やがてウェスリーが口を開いた。
「奥方様に怪我がなくて、幸い」
「何が起きたのでしょう。お二人の間に、何か……問題でも」
「まさか」ウェスリーが首を強く横に振った。
バージルは、ほとんど目が見えない。20年ほど前、まだ幼い頃に熱病を患った。高熱が下がった朝、彼が見る世界の輪郭は、わずかな光の濃淡ほどに変わってしまっていた。
だが時折グレンは、バージルが盲目ということを忘れてしまいそうになる。
バージルは経験と練習から、城の中をまるで見えているように歩く。足音でグレンやウェスリーを聞き分け、声を掛ける。「グレン、調子はどう?」
暗闇でセアラを追うのは、たやすかったろう。
だとしても先刻の出来事は、悪夢が映り込んだ幻燈にちがいなかった。普段のバージルとセアラを知っている者にとっては。
――「大丈夫だよ」と笑って城の階段を上るバージルの背中に、セアラはそっと手を添える。
――小春日和の中庭のベンチで、彼女は古い詩集を優しく詠う。隣で、彼の心も空を舞う。
――夕刻、彼女のために弾く彼のリュートが、城の空気を穏やかに震わせる。
ウェスリーがため息をついた。
「しかし、かような時に」
グレンは頷いた。隣国トラモアの動きが、このところキナ臭い。領地に攻め入る隙を狙うように、国境付近の騎兵の動きが慌ただしい。
「このような事態だ。ジェイラス様にお越しいただこう」
ウェスリーの口から出た懐かしい名前に、なぜかグレンの胸は、ざわりとした。
「……分かりました。早速、辺境伯のところへ近衛兵を遣りましょう」
「まだ真夜中だぞ?」
グレンは窓に目を向けた。
「今夜は満月に近い。月明りで、なんとか進めるでしょう」
ウェスリーも窓を仰いだ。
「では、頼む。今、書状を書いてくる」
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