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深夜営業
午後七時。堺は幹線沿いにある「サイクル堺」の引き戸を開けて、息子と店番を代わる。
息子は引継をすると、ジャンパーを羽織った。
「何かあったら、すぐに電話して」
いつもの言葉を残して息子は家路につく。秋祭りも終わり、虫の音がいよいよにぎやかだ。堺はコオロギを扉にはさまぬよう慎重にガラス戸を閉めた。
タイヤのゴムのにおいと、オイルが染みたコンクリートの床。壁には値の張る自転車が飾られているが、主力で扱っているのは、いわゆるママチャリだ。
光熱費節約のため蛍光灯は右半分は消す。店の左手奥にある事務机の椅子に腰を下ろして堺は夕刊を広げた。これから翌朝まで店番をするのだ。
夜でも仕事はある。部活帰りの高校生のバンクを直す。常連が注文したパーツを受け取りに来る。顔を見せたご近所さんとお茶を飲む。それが堺が何年も続けている日常だ。
深夜、虫の音が途切れた。堺は新聞から顔をあげた。
「外れたチェーン、直してもらえますか」
ランニングシャツに半ズボン、ビーチサンダルをはいた坊主頭の少年が店の前にいた。自転車のひしゃげたカゴの中には茶色い子犬がいて、つぶらな瞳で堺を見あげている。
「ああ、大丈夫だよ」
堺は店の中に自転車ごと少年を招き入れる。
「体を拭いて」
堺は奥の休憩室からタオルを持ってきて少年に渡す。言われて少年は髪から雫が落ちてくるのに気づいたようだ。それでも自分の頭を拭くより先に、子犬の体をタオルで包む。
知っている、ヤスはそういう奴なのだと堺は小さくほほえむ。
チェーンはすぐはめられた。
「ありがとう。おじさんは友だちのお父さんみたい。友だちのとこも自転車屋さんなんだ」
堺はうなずき、少年を外まで見送る。
「気をつけて」
赤と黄の信号が点滅する交差点で、少年が乗る自転車が闇へと溶けていく。
湿ったタオルを堺は拾う。深夜に迎える客の中に、時おり十歳から変わらぬ姿の幼馴染がいる。
「ヤス、またな」
堺は明日の夜も店を開ける。
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