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私は、地元の高校を卒業すると同時に実家を飛び出した。両親は反対した。私が東京に行く理由が気に入らなかったのだ。父は烈火のごとく怒った。
「ショーパブでダンサーをやりたいだって? おまえ頭がおかしくなったんじゃないのか? 目指してなるような職業なのか!」
「私は小さい頃からずっと異常者のように扱われてきた。もう限界。私は、私を受け入れてくれる場所に行きたい。私が私のままでいられる場所で暮らしたいのよ!」
父はずいぶん私のことで我慢をしていたのだと思う。たぶん、私が物心ついてからずっと。父はよい意味で古いタイプの堅物なのだ。ショーパブというキーワードでとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。これほど激しく叱られたのは初めてだった。でも、私にも父と同じくらい言い分があった。譲れないものがあったのだ。私の頑固な性格は父譲りらしい。
一方、母はおおざっぱな平和主義者だ。かつ柔軟な頭の持ち主なので、父と私の双方に理解を示して何とか家庭の円満を維持してきた。場を丸く収めるために、今回も母が折衷案を出す。
「そのショーパブさ、まずはアルバイトにしたらどうかしら。専門学校か何かに通いながらアルバイトをするの。専門学校ってだいたい二年でしょ。卒業するころには気持ちが変わるかもしれない。手に職もつくし、いいんじゃないかな……」
父は納得していなかったが、最後は「勝手にしろ。おまえの人生だ」と言ってくれた。私は料理が得意だったので栄養士の資格が取れる二年生の専門学校を選んだ。柔軟に授業の時間を選べるので、働きながら学校に通えるのが魅力だった。
私は、地元に友達らしい友達がほとんどいなかった。小学校から高校までずっといっしょだった福ちゃんが唯一の例外だ。梅田福子は、私のお手本だった。清楚で上品な雰囲気や、かわいらしい顔立ちは憧れでもあった。地主の一人娘として大事に育てられたためだろう。人見知りで内気な性格だったが、ある事件をきっかけに私と親しくなり、いつも私を助けてくれるようになった。
福ちゃんにだけはきちんとお別れが言いたかった。幼いころは福ちゃんの家に入り浸りになっていたが、中学生になって以降は、クラスメイトにからかわれるのが嫌で、私は福ちゃんの家に寄り付かなくなった。福ちゃんは私の気持ちを察してくれたのだろう。私をそっとしておいてくれた。
卒業式の直前、私は久しぶりに福ちゃんに電話して、放課後に公園で待ち合わせた。私が公園に到着すると、福子はもうブランコに座って待っていた。まだ約束の十五分前だった。
「福ちゃん、待たせてごめんね」
「ううん。勝手に早く来ちゃったの。ジュンちゃんから電話をもらったの久しぶりだからうれしかった」
「福ちゃんに報告することがあったの。電話じゃそっけないかなって思ったから」
「そうなんだ。なんだろう。どきどきする」
福子の目が不安と期待で潤む。私は時々、些細なことにでも一生懸命、私の話に耳を傾ける福子に戸惑うことがあった。
「卒業したら東京に行くことにしたの。専門学校に通いながらダンサーになるんだ。以前、動画を見せたでしょ。ルビーさんの。あのお店でアルバイトしようかなって……」
私は驚いた。福子の目にみるみる涙が溢れたからだ。福子が震える声で尋ねる。
「……大学には行かないの?」
「うん。居心地が悪いに決まっているからさ……。私、自分が自分らしく生きられるところに行くよ。ルビーさんに会ってみたいんだ、どうしても」
「なんであの人なの……女の人だよ、ジュンちゃんと同じだよ」
「そういうんじゃなくて、憧れなんだよ。あんなふうになりたいなって……」
福子の目から光が失われ、暗澹たる様子でつぶやく。
「私じゃだめなんだね……」
私は、どきりとした。薄々は気づいていたが、確認するのが怖かった。「福ちゃんにはすごく感謝しているよ。いつも私に寄り添ってくれた。だから、私、ここで高校まで頑張ってこれたんだ。でもさ、私、福ちゃんがクラスメイトにからかわれているのがつらかった。私みたいなのといつまでもいっしょにいちゃだめだよ。素敵な人と出会うチャンスが……」
福子がブランコからがちゃんと立ち上がり、声を荒げる。こんな激しい福子を見たのは初めてだった。
「私は、ジュンちゃんがいいの! ジュンちゃんが好きなんだよ! わかってくれていると思っていたのに……会ったこともないダンサーのところに行っちゃうんだ。すごく、すごく悲しい……」
福子は泣きじゃくった。私は、福子の取り乱し方が常軌を逸しているのでおろおろするばかりだった。
「福ちゃん、お願いだから聞いて。私は……」なんとか言葉を探して語り掛けたが、福子は聞こうとしなかった。「もう放っておいてよ。同情までされたら私、もう立ち直れない」。そうと言って福子は走り去った。後味の悪い別れだった。私がもっと大人だったら福子を傷つけずに済んだのだろうかと、しばらくはくよくよ悩んだ。
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