ルビーとジュン

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ルビーとジュン

 目の前を何台もの列車が通り過ぎていく。どの車内も煌々と明かりが灯り、老若男女が思い思いの相手と談笑している。黒光りするレールに車輪がこすれる音を規則正しく響かせながら、列車は、彼方に見えるまばゆい光に向かって迷いなく進んでいく。  私は、ふてくされたような気分で列車をしばらく眺め、そして、いつものように自分の足元に視線を落とした。いまにも壊れそうなトロッコに一人、ぽつんと座っていることを確認して、どこに進もうかと考える。レールはない。これがゴールなのだと一見して分かる光も見えない。  私は仕方なく、ブレーキレバーを外してトロッコを動かす。ゴトリと車輪が回り始め、おんぼろが私を乗せて闇の中をのろのろと進み始める。そこで私はきまって目を覚ます。今夜は、いつの間にかカウンターで寝入ってしまったらしい。  夢見が悪い原因は、最近、客足が落ちたためだろうと思う。感染力の強い新しい変異株が猛威を振るい、自治体が慌てて営業時間短縮のお触れを出したからだ。消毒薬にパーティション、オゾン発生装置などなど、考えられる対策は全て講じた。どうぞ、安心して遊びに来てくださいねと言っても、夜の街で遊び続ける気概のある客はそうはいない。思い切って休業するべきなのだ。私はオーナーにそう進言したが、オーナーは「気にするな」と営業継続を勧める。  「なあ、ジュン。閑古鳥が鳴いているほかの店に比べればたいしたもんだ。このまま続けろよ、なっ」  「そろそろ手術を受けたいんですよ。お客さんも定着してきたし、いいタイミングじゃないですかね」  ふんっというオーナーの鼻息が聞こえた。「まだ半年だぞ。開店資金も回収できてねえんだ」  雇われママとして半年前、仕方なく始めた店だった。完全予約制の高級クラブ。銀座の外れにある小さな店にもかかわらず、オーナーはかなり強気な価格設定をした。つないできたショーパブの馴染み客が通ってくれると確信していたためだろう。  オーナーの思惑は当たった。馴染み客からうわさを聞きつけた新規の客も増えて、店はたちまち繁盛した。ルビーさんの人気がどれほどすごかったのか、私は改めて思い知らされた。  私は、客の間を飛び回り、サポートの女の子が私の不在をカバーする。女の子もオーナーが連れてきた。ショーパブで一緒だった子が多く、よく訓練されているので、売り上げはうなぎ登りだった。  不思議なことに私は客の考えていることが手に取るように分かる。客が望む話題や仕草を選び、それらをそっと差し出すと、客は大いに喜び、一日も置かずに通い続けるようになる。一カ月もすると、男たちは安心して私の前に身も心もさらけ出す。そして私を手に入れようと必死に口説き始めた。  だが、私は一線を越えない。がっかりされたくないからだ。私は同伴やアフターで満足してくれる客だけを選別し、大事にした。店が予想以上に順調だったためだろう。私は、他人の心を支配する何か特別な力を与えられたようで少し得意になっていた。その半面、こんなことをするためにこれまで頑張ってきたのだろうかという疑問も頭をもたげる。  空になりそうでなかなかならないウイスキーのボトルを自ら飲んで片付けていると、カウンターに放り投げてあったスマホが鳴った。深夜にちょっと一杯という常連客もいるだろう。オケラを覚悟していた私は、少し高揚してスマホを手に取ったが、その期待は一瞬で裏切られる。  母だった。父がなくなって以来、群馬の田舎で一人暮らしをしている。私に電話をかけてくることは滅多にない。父の葬式で久しぶりに私を見て、埋めがたい距離を感じたのだろう。そう思って私から連絡することは遠慮してきた。その母が思いきって電話をかけてきたのだ。「元気?」と平静を装っているが、嫌な予感しかしなかった。
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