1 ナンバーワンホストは末席ホストになすがまま

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1 ナンバーワンホストは末席ホストになすがまま

 新宿歌舞伎町が天辺を迎えた。太陽の光は無くともギラギラとした不夜城そのものが光輝きアスファルトの大地を照らす。光り輝く不夜城を構成するのは色と欲に塗れた風俗店か、終わらぬ仕事に塗れたブラック企業か。 ホストクラブ『オリュンポス』もその不夜城を構成する光の内の一つである。瀟洒な神殿を思わせる店舗の前には、帰宅する客を出迎えるためのタクシーが列を成して待機していた。 オリュンポスのナンバーワンホスト『遊生輝(ゆきてる)』こと太歳幸輝(たざい ゆきてる)は夕方より同伴出勤でずっと一緒にいた客をタクシーに手を引いてエスコートし、その客がタクシーに乗るなりに片膝立ちで跪き、手の甲に軽く口吻を行った。タクシーの運転手はバックミラー越しにそれを見て「やれやれ」と呆れたような目付きになる。 その客、ビア樽に手足がついて歩いているようなふくよかな中年女性である。 「今日も楽しかったよ。ありがとう、楽しんで貰えたかな?」 「もう、輝くんたら。上手いんだから」 その客は夕方の定時終了と同時に待ち合わせをしていた遊生輝と合流し、軽く食事をした後に同伴出勤をしている。つまり、ほぼ六時間近く遊生輝を独占(こうそく)しているのである。ナンバーワンホストを六時間近く拘束するのに必要な料金だが、一般庶民であれば二~三ヶ月は食べていける程のもの。このような料金を出せるのは彼女が高給取りのキャリア官僚だからである。 「今度はいつ来られるかな? 早く会いたいな」 女性はタクシーの天井を見上げながら考えた。正直なところ、今回の遊生輝の六時間程の独占はかなり無理をしていた。来月の給料までは公庁内の社食のメニューの格下げや、家での食事を塩粥にしての節約も検討するぐらいに金を使っていた。彼女はその高給の殆どを遊生輝に貢いでいたのである。本来ならば来月の給料日まで店に来ることは出来ないのだが「早く会いたいな」の言葉は彼女を絡め取る蜘蛛の糸も同然に「来月」と言う言葉を封じ込めてしまうのであった。 「週末また来るね。六時に来るから」 「オッケイ、待ってるね」 遊生輝は運転手に向かって軽く頷いた。そして、一歩二歩と軽く後ろに下がる。タクシーのドアを閉じると、二人の間に隔たりが出来た。女性はドアのガラス越しに見る遊生輝を物惜しそうな顔でじっと見つめた。 タクシーは出発した。遊生輝はタクシーが見えなくなるまでずっと90度の直角に礼をしながら見送るのであった。
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