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5. 顔のない女
ウミの家に着いたときパーティーは既に始まっていて、歌手やら女優やらモデルやらどこかで見たことのある華やかな顔ぶれが、揃いも揃ってカクテルやワイングラスを片手にホールのそこかしこに寄り集まって談笑していた。
3階建ての豪邸の外には青い芝生の敷き詰められた広い庭があり、庭の真ん中、丸型の噴水に立つ小便小僧の銅像から水が噴き出している。鉄柵の門を通り抜け、3メートルはありそうな開け放たれた大きな木製のドアの間を潜った先はロビーになっていて、少し水拭きしたら滑って転んでしまいそうな、丹念に磨き上げられた白と黒のチェス盤のような大理石の床が広がっている。
案内役らしき若い黒のフォーマルドレス姿の女性に案内され、ロビーの奥のアーチ型の入り口を入った先が会場になっていた。白いシルクのクロスのかけられた丸テーブルの並んだホールの天井には巨大なシャンデリアがいくつもぶら下がっていて、私服姿の私とは違う煌びやかなドレスやスーツを纏う人々に眩しい光を降り注いでいた。隅に置かれたCDコンポから流れ出すアップテンポなポップスが、華やかな若者ばかりのこの空間をより近代的な色に染め上げていた。
あまりに華やかな人ばかりの空間に半ば気後れしながらホールの片隅で立ち竦む。ウミはこんな大きな家に一人で住んでいるのかと脱帽する。私の家とは比べ物にならないほどセレブ感が滲み出ている。ここに一人きりでいたら、かえって世界に一人きりみたいな孤独感が強まってしまいそうだ。
間もなくホール右手の入り口から、大歓声とともにウミの友人であるDJのEveが現れた。鮮やかなピンクベースのアイシャドウが映える小麦色の肌にドレッドヘアの彼女は、ホール奥の左隅に設置されたブースに入るとヘッドフォンを装着して、「行くわよ!」という掛け声と共に、ウミとコラボした"Am I wrong?"という新曲を大音量で流し始めた。
『私は何か間違ってしまったのかもしれない。完全に場違いだ』
そんな内容の歌詞は今の私の状況にピッタリだ。私はお酒も弱いしパーティーなど賑やか過ぎる場所があまり好きではない。今日ここに来たのも、単に大スターのウミの姿を一目見たかったからに過ぎない。
第一、肝心の主催者であるウミはどこにいるのだろう。そして私をここに呼んだ友人のミシェルに一度も会っていないのだが、一体彼女はどこにいるのか。DJの流すクラブ調の音楽に合わせ、狂ったようにダンスを続けるアルコールに呑まれた人の波を潜ってミシェルを探していると、身体を揺らしていた一人の女性の肩にぶつかって、彼女が持っていたグラスのワインが床にこぼれた。
「ごめん」
短く謝って持っていたハンカチで床に落ちた赤い水滴を拭き取った私に向かって、無言で軽蔑の眼差しを向けるブロンドの女性。私は彼女のことを知っている。『ライトニング』のオーディションに来ていたニコル・ウォーカーだ。彼女のことは正直あまり好きじゃない。待合室で隣の席に座ったのだがまるで私を蔑むみたいに笑って、その時の私のファッションを見て「ダッサ」とつぶやいたのだ。あの朝私は寝坊をして、髪を整えメイクをすることで精一杯で服を選ぶ時間があまりなかったために、自分の家で飼っている猫の写真のプリントされたショッキングピンクのTシャツと、中学時代に履いていた色褪せたダメージジーンズを着用して行ったのだった。私は自分のことよりも愛猫のサルサのシャツを笑われた怒りで、ニコルのことを思い切り睨み付けたのを覚えている。
「あんたどこ見て歩いてんの?」
ニコルはワインのシミのついたハンカチを持って立ち上がった私にあからさまな侮蔑の眼差しを向けた。強い香水の匂いが鼻をつく。
「前を見て歩いてたつもりだけど」
言い返した私をニコルは鼻で笑った。
「あんた、確かオーディションにいた奴だよね? なんであんたが受かったのか意味不明なんだけど。前にドラマちらっと観たけどさ、凄い棒読みで観てらんなかったわ」
ニコルと私は同じ役を希望していたが、意外にもオーディションに合格したのは私でニコルは落ちた。監督の話によると演技力というよりキャラクターの問題で、私が役のイメージにピッタリだったからだという。
「それは私が答えることじゃないから、監督に電話して訊いてみれば?」
負けじと言い返したがニコルには効果なしだ。腕組みをしたまま私を見下すみたいにせせら笑っている。
「あんたと同じドラマに出てたエキストラの中に知り合いがいるんだけどさ、その人から前に聞いたことあんだよね。あんた演劇の名門校出たわりに表情も乏しいし、芝居が下手すぎて見てられないって。それなら私の方が適役だったんじゃないかって」
薄ら笑いを浮かべたニコルは、まるでティーン向けの学園ドラマに出てくるクラスのヒエラルキーで上位に属する苛めっ子の女子のようだ。彼女らは周りの人間にランク付けをし、自分より下とみなした存在に対して冷酷に振る舞う。こき落とし、嘲笑い、自分たちのグループよりも格下なのだと思い知らせることで集団の中で権力を誇示するのだ。
今までニコルのような人間を何人も見てきたから、こんな嫌味には慣れっこだった。普段監督や演出家、スタイリストのケイシーにはもっと酷い駄目出しをされているし、褒められたことなんて一度もない。自分でも自分の演技はいまいちだと思うし、この役を演じている自分を好きになれない。実際に放送されたドラマの自分の演技を観て、げんなりしてチャンネルを変えたほどだ。
「自分がスタッフたちから裏で何て呼ばれてるか知ってる?」
ニコルは意地の悪い笑顔を浮かべたまま続けた。
「さぁ」
ニコルは私に顔を近づけ、顔にニヤニヤ笑いを貼り付けたままこんな渾名を言い放った。
『のっぺらぼう("The faceless girl")』
「へぇ、超面白い」
空気の抜けた風船のように力なく答える今の私も、きっと『のっぺらぼう』のような顔をしているに違いない。よく人から無表情と言われるけれど、いつからそうなったのか覚えていない。幼い頃はそれなりに笑ったり怒ったり泣いたりしていたはずなのだが。
これ以上ニコルといることに耐えられなくなった私は足早にその場を後にして、2階への階段を駆け上がった。
必死に傷ついていない振りをしていたけれど、情けない気持ちでいっぱいだった。性悪のニコルとしては一本取ってやったとでも思っているのだろう。彼女は不満なのだ。実力のない私が自分の欲しかった役を貰い、先に夢を叶えたことが。
大丈夫、気にすることなんてない。あんな最低な人間はどこにだっている。私をこき落とすことで敗者となった自分の精神を保ちたいだけだ。心の中でそう自分に言い聞かせる。
泣くな。
泣くな。
そこで思い出す。どのみち私は、どんなに悔しくても悲しくても泣けないのだと。
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