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プロローグ
緑の空はいつ見えるのだろうか。
日本で上空にオーロラが発生しない限り一生見れないだろう。そんなことは分かりきっている。
でも、もしそんな天変地異の様なことが起これば、僕達はきっと……
—————
春には満開に咲き誇る桜の木も、今は少し寂しげに桜紅葉がぶら下がっている。夕暮れ時の空がそれをより赤く色付ける。
どうしてこの木、一本だけがこの河原に生えているのか。幼い時にこの地に引っ越してきてからずっと分からないままだ。
僕–––––神谷正吾はその木の下で、胸の前で手を合わせた。目を閉じれば、いつ来ても変わらない川のせせらぎが二年前の記憶を蘇らせる。
「見えますように」
そう唱え、ゆっくりと目を開ける。目に映るものは何も変わらない。変わったのは聴こえる音だけ。川のせせらぎの他に、人の叫び声が追加された。
「しょ〜ご〜」
僕の名前を後ろから誰かが呼んでいる。声のする方へ振り向くと、数十メートル先にある橋の上に人影が見える。橋の上で叫んでいる人の正体を確かめるため、目を細めた。でも大体見当はついている。
彼の名前を僕は明るい声で叫び、頭の上で大きく手を振った。釣られるようにして彼は僕に大きく手を振り返し後、一心不乱に駆け出した。
そんな姿にどこか懐かしさを感じる。
橋を渡りきり、歩道を走る俊敏な彼。僕に一番近い土手の階段の前で止まった。彼の靴底がアスファルトに擦れ、ズズズと音がここまで聴こえてくる。
二十段もある階段を段飛ばしで軽やかに降りる。最後の五段に差し掛かると勢い付いた身体に身を任せジャンプ。クルッと宙返りしたしなやかな身体は僕の目の前で着地を決め、そのままポーズ。左膝を地面につけ、右足は横に伸ばす。左腕を指先まで真っ直ぐ横に伸ばし、右手の拳を地面に叩きつけて顔をあげる。そして決め台詞。
「フューチャーレッド、参上‼︎」
お見事。僕の脚本通りだ。
彼は躊躇いもなく僕が高校3年生の時から書き留めていた『空色戦隊フューチャーレンジャー』の一部を披露してくれた。彼にしか見せていない脚本だ。
右も左も分からないまま書き出したこの脚本は人物一覧表もなく、ト書きの書き方だって無茶苦茶だ。作品としても没だろう。
東京にある東都芸術大学映像学部映像学科脚本・シナリオコースに通い、すでに半年が経つというのに未だ脚本という物をどう作り上げて良いか分からない。才能がないのか。
「ありがとうございます。こんな駄作に付き合ってくださり」
走りながら僕のことを探していたんだろう。台詞を言い終えニッと片方の広角を上げる彼の額には少しだけ汗が滲んでいた。
「俺はこの作品好きだぜ」
褒めてくれる彼は同じ大学に通う2回生。学部学科も一緒だが演技コースに身を置いている。
180センチもある身長に加え、体格もストレートタイプ。筋肉質で腕も太く、胸板も厚い。羽織っているミリタリージャケットの上からでもわかる程だ。そして老若男女に好かれるであろうこの甘いマスク。僕が描いているフュチャーレッドにぴったりだ。
そして彼は僕の今彼だ。
「探し回ったんだぞ! しかも桜の木じゃね〜じゃん。それにあのってなんだよ」
シルバーウィークを利用して一緒に僕の実家に帰ってきた。一泊二日という強行な帰省だが、僕はどうしても彼と一緒に帰って来たい理由があった。
最初は乗り気ではなかった彼を説得して連れて来た。そんな僕が一緒に実家で昼寝をしていたのに起きたらいないんだ。そりゃ、焦るだろう。それに「あの桜の木の下にいます」とだけ書かれたメモを見れば心配しないわけがない。
頭をコツンと叩く彼に「桜の木なんですよ」と言い、抱きついた。
「おい、急にどうした?」
「ちょっとだけ。こうしていてもいいですか?」
「お前は出会った頃から俺にベッタリだな」
彼に出会ったのは半年前の春。入学してすぐの時だった。大学構内のカフェですれ違い、思わず彼の手を掴み引き留めた。
初めてのナンパだった。
「フューチャーレッドになってくれませんか?」
あの時に怪訝な目で睨んできた彼が今、半年しか経ってないのにギュッと僕のことを抱きしめている。
秋風と彼の体温が心地い。いつまでもずっとこうしていたい。
でもそんな願いは叶わず、彼は僕の頭の上に落ちてきた桜紅葉桜紅葉をヒョイっと手に取り、目の前で見せてくれた。
「それにしてもこの木、立派だな」
桜の木に近づいた彼は幹に焼けた跡があるのに気がついた。
「でもなんでここだけ焼けてんだ?」
「雷が落ちたんですよ。二年前に」
彼は振り向き「へぇ〜」と眉毛を上にあげて僕に向かって返事をする。そんな彼の顔が好きだ。
「それでお前ここで何してたんだよ?」
「お祈りです。緑の空が見えますようにって」
「は? 緑?」
彼は眉毛をひそめ不思議そうに首を傾げた。戸惑う彼に一呼吸置いてから告げる。
「今日、今から緑の空が見えるんですよ」
頭がおかしくなったのかとでもいうように、彼は眉間に皺を寄せ、僕のことを凝視してきた。
「そろそろです」
昔、一度僕は緑の空を見たことがある。それは当時付き合っていた人との別れの空だった。
でも、また見たい……
腕時計で時間を確認し、僕は前髪を触りながら夕暮れ時の真っ赤な空を仰いだ。
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