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「ハカセ!ついに完成したのですね!」
ジョシュ君の鼻息が荒い。
世間からはマッドサイエンティストと呼ばれるこの奇人変人の粋を集めたような発明家のハカセの研究所に勤めて早50年。
ジョシュ君がここまで興奮するのは珍しい。
作者の私は今、世間からマッドサイエンティストと呼ばれている発明家のハカセといったが、これは少々彼らの言い分に添い過ぎている。
実のところ、世間的に見て彼らは全くの無名である。
近所付き合いなどというものが、関東ローム層を奥深くまで掘り起こさなければ発掘されないようになった21世紀の東京でも、ごくわずかであるが地上にそれを見ることができる。
しかし、それは彼らが自宅兼研究所と呼んでいる築40年の安アパートから徒歩1分のところにあるスーパーマーケットのレジ係の人たちに限られる。
彼らは日夜研究に没頭しているため、午後8時の閉店間際に慌ててスーパーマーケットに駆け込んでミルクとシリアルを買い込む以外には、ほとんど外に出る用事はない。
あまりにも長いこと自宅の近所にしか出かけていなかったため、発明家のくせに東京特許許可局への行き方すら忘れてしまったくらいだ。
彼らにとって唯一の世間であるスーパーマーケットの店員たちも、彼らが発明家であることを知らない。
もとより、彼らもそのスーパーの常連客といっても、レジ係の人たちとの短い会話を楽しむわけではないのだ。
顔も体も相撲の八角親方にそっくりなベテランレジリーダーの女性は、無表情でミルクとシリアルをカゴに詰め、気弱そうなパートの主婦は彼らと目を合わさずにそそくさと仕事をすませ、平均年齢50歳以上の職場に意外と馴染んでしまったアルバイトの女子高生は不思議なものを見るように彼らを見る。
超合理主義者のハカセに言わせれば、対人関係というものはどんな人気者であっても、中立か拒否か接近かのどれかを体験するのであって、他人の反応などいちいち気にすることではないらしい。
理性に絶対の信頼を置くハカセが、人間のフィーリングなどというあてにならないものに左右されることはないのだ。
そもそもハカセがこの50年間、変わらずシリアルを食べ続けているのは、それが最も科学的なる食品だと信じているからによる。
朝も昼も夜も3時のおやつも、いつもシリアルを食べるが、ケロッグ社が彼らを優良顧客として表彰する予定はいつまでたってもないらしい。
冒頭に出てきたジョシュ君というのは、ハカセの助手である。
助手だからジョシュ君という安易なネーミングだとお考えであろうが、そうではない。
ジョシュア・ホワイトというのが本名の、米国バージニア州出身のれっきとしたアメリカ人である。
当年とって65歳。15歳のときにハカセと出会い、以来半世紀行動をともにしている。
50年前といえば、まだ1969年。その年、アメリカは月面に人類を送り、日本はサザエさんのアニメ放送を開始した。
そんな時代に無名の日本人科学者についていこうというのだから、ジョシュ君は神が選んだ変わり者である。
65歳の男性をジョシュ君と君付けして呼ぶのは気が引けるが、無用な混乱を避けるために、通常ハカセが彼を呼ぶときの表し方に従うこととする。
一方のハカセはと言えば、別に本名が葉加瀬さんでも名前が太郎さんなわけでもない。
この物語の一応の主人公として、便宜上名称を統一するという、作者の配慮にすぎない。
短い物語の中で、一人の人物にいくつもの名称を使っていては、読者諸賢のあいだに無用な混乱を引き起こすとの気遣いである。
ハカセが何者であるかについては、簡潔に記しておくにとどめよう。
日本人である。ジョシュ君よりは年上である。発明家である。以上。
作者である私は、別にここで一人の人物についてのポートレートを描こうとしているわけではない。
だから彼らの紹介についてはこのあたりにしておく。
大事なのは、彼ら自身ではなく、たった今彼らが完成させた発明品にあるのだ。
「ジョシュ君。我々はとうとうやったな。苦節50年、ついに人類を救う画期的な発明をしたのだよ」
「ハカセ!わたしは、感無量であります!」
ハカセが手にしているものは、一見普通のコウモリ傘である。室内だというのに、傘をさしている。
だが、よく見ると違いがある。本来ならば発明者である彼らに説明してもらうところだが、二人とも興奮覚めやらぬという様子であるため、作者の私が代わりに説明する。
まず目を引くのが、石突きの部分である。石突きというのは、傘の先端部分である。
傘をさせば最も天に近くなり、傘を閉じて持てば通常は最も地面に近くなる、先端部である。
その石突きの部分に、小さな植木鉢がついていて、小さな気が植えられている。
盆栽のように見えるが、実はアーモンドの木である。
そこから目線を下にやると、つゆ先の部分が普通と違っている。
つゆ先というのは、傘の骨の先端部分である。傘の上に落ちた水滴が、生地を伝って流れ落ちる先についている小さなポッチのことである。
このつゆ先に、哺乳瓶の吸い口がついている。今ハカセがさしている傘は骨の数が8本のものであるが、8本の骨先に全て哺乳瓶の吸い口がついているのだ。
「やりましたね、ハカセ!」
「うむ。我々はついに人類誕生以来500万年にもわたって人類を苦しめてきた、飢餓の問題を解決したのだ!この傘さえさしておけば、人類は永遠に飢餓から解放される!」
なにやら大それた主張をしているが、どうしてそうなるのか、作者が説明しよう。
傘の先にアーモンドが生えている。植木鉢の中には特殊な機械が埋め込まれており、アーモンドミルクを絞りとる。
アーモンドミルクは傘の骨を通って哺乳瓶のようにつゆ先に蓄えられる。あとは、お腹が減ったらつゆ先をチュッチュチュッチュすればアーモンドミルクを吸えるという仕組みである。
晴れた日にさせば光合成をし、雨の日にさせば水やりになるので、持ち主がすることはほとんどない。
「わたしはこれをお傘さんと名付けよう。人類を最初に養ってきたのはお母さんの母乳である。これからはお傘さんのアーモンドミルクによって人類は養われるのだ。いわば傘乳だ。人類は傘乳によって養われるのだ!」
読者諸賢は、なにを荒唐無稽なことを言っているんだこのジジイとお思いであろうが、ハカセはそれほどバカではない。
意外としたたかな機能をお傘さんに組み込んでいるのだ。
お傘さんの最大の特徴はその持ち手にある。
読者諸賢の中にも、幼き頃に母親の手を引いて歩いた経験をお持ちの方がおいでであろう。
当時のことを思い出してほしい。母親と手をつないでいるという安心感。自分よりも大きなものが、保護してくれているという絶対的な安らぎ。
いつまでも、その握った手を離したくなかったのではないだろうか。
子供のころ、お母さんの手はどこにあったであろう?
そう、大人になったあなたが傘をさすときの持ち手の位置である。
お傘さんの持ち手は、お母さんの手の形をしているのである。
特殊素材でできたマネキンの手のようなものがついていて、握るとあなたの体温に反応して人肌程度に熱を帯びるのだ。
思春期のころのあなたは、お母さんのぬくもりを過剰なことと感じ、その手を離して自由に飛び回りはじめた。
だが、大人になった今、どうだろう?社会の荒波に飲まれ、寒風に吹きさらされたあなたは、かつて感じた絶対的な安らぎを求めているのではないだろうか。
特に、こんな雨がしとしと降る夜には。
勢いで雨を降らせてしまった。おまけに夜にしてしまった。
そんなつもりはなかったのだが。まあ、そういうことにしてくれたまえ。
いずれにせよ、孤独な夜に冷たい雨が降っている。あなたの心は冷え切っていたが、つないだ手のひらから、母のぬくもりが伝わってくる。
ふと顔を上げると、甘い乳を蓄えた乳首がある。
あなたは、人目もはばからずに乳首を吸うだろう。
乾いた喉と心を潤す命の水に、もはや頬を伝うのが雨なのか涙なのかわからなくなるだろう。
買うだろう。
お傘さんがどんなに高くても買うだろう。
貯金を下ろしても、女房を質に入れてでも、子供の小学校進学を諦めてでも、あなたはこの世紀の大発明を買うであろう。
ハカセとジョシュ君はお傘さんの特許を取り、製品化して売り出した。
東京特許許可局に迷わずに行けたかどうかは、読者諸賢のご想像にお任せする。
お傘さんは売れた。売れに売れて、その年の大ヒット商品となった。
ハカセとジョシュ君は大いに潤い、30年間貯め続けた安アパートの家賃を払うことができた。
だが、これまで陽の目を見なかった二人の人生には、今尚、厚い雨雲がかかっていたらしい。
あるときを境に、急にお傘さんが売れなくなったのである。
「こ、これは、いったいどうしたことだ、ジョシュ君!」
「ハ、ハカセ!どうやら、ライバル会社が新製品を開発して、みんなそちらを買っているようです!」
「その新製品とは、どんなものなのかね!」
「なんでも、おばちゃんという商品で、受け止めた雨の雫を、飴玉に変えてしまうもののようです!」
飴ちゃんを配るようになったら、おばちゃんの始まりである。
なんと、お傘さんはおばちゃんとの競争に負けたのである。
悲しいものである。
母のぬくもりより、おばちゃんの飴玉を求めるなんて・・・
人倫から、親子の絆が消え去って久しい。
かくして、おごる平家は久しからず、おごらずともハカセとジョシュ君の栄光は久しからず。
長年の夢は、雨の雫と消えたのであった。
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