夜を守る者

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 その日の、夕方。  水の入った桶とともに、塔の最上階にある『夜を守る者』を統べる隊長専用の部屋に入ったブランは、部屋の殆どを占める古びた机に手を置いて器用に紐を編む隊長カイの姿にほっと息を吐いた。魔狼に噛まれた怪我は大丈夫そうだ。カイの両腕に巻かれた、まだ血の滲む包帯を、ブランはただ静かに、見つめた。 「どうした、ブラン?」  そのブランを咎めるように、カイが顔を上げる。おそらく眠っていないのであろう、カイの瞳の周りに滲む青黒さに、ブランはそっとカイから視線を逸らした。  そしてそのまま、簡素な隊長室を見回す。部屋の壁の一面には、カイが身に着けているものと同じ、牙に飾り紐を巻いて作られた首飾りが並んでいた。その数は、二十七。白く優しい獣から、都を守る『力』とともに渡された牙は確か、三十二、ある、はず。身寄りの無いブランを拾い育ててくれた、カイの母でもあった前の隊長が教えてくれた、『夜を守る者』と盟約を交わした優しき獣の話を思い出しながら、ブランは指を折った。一つは、目の前の、ブランからは横顔しか見えなくなった隊長カイが身に着けている。三つは、今も城壁の歩廊で任務に就く準備をしている三人の隊員がその首に掛けている。まだ見習いであるブランの首には、首飾りは掛かっていない。そして、残る一つは。夜の闇を切り裂き、朝の光に消えた白き獣の姿を思い出し、ブランは溢れる涙を汚れた袖で拭いた。  ウルが遺したものは、一対の牙のみ。その牙の片方を、カイは都の端にある墓地に埋めた。そしてもう片方は。カイの手元を見やり、ブランはもう一度、袖で目を拭った。僅かに黄みを帯びた白い牙が、飾り紐を編むカイの手の横に転がっている。おそらく、カイは、今編んでいる飾り紐をウルの牙に結んでから、この壁に飾るつもりなのだろう。  盟約により、一夜だけ、都を守るために獣へと変じた後、朝日に溶けて消えてしまう『夜を守る者』が遺す一対の牙。その片方を葬り、そしてもう片方は、次の『夜を守る者』へと引き継ぐ。それが、隊長の職務の一つ。だが、牙を引き継ぐことができる者は、今はいない。これからも現れないだろう。  かつて、この都が全盛を誇っていた頃、白き獣から贈られた牙を身に着けることができたのは、『夜を守る者』の中でも文武に長けた、三十二に分かれた部隊の隊長だけだった。そのことをブランに教えてくれたのも、前の隊長だった。ブランがそこまで思考を巡らせるより早く、カイは手の中の、かつてはウルであったものの牙に飾り紐を取り付けた首飾りを、ブランの方に突きつけた。 「やる」 「隊、長?」  その牙を受け取って良いのか、迷う。ブランから顔を背けたままのカイを、ブランは訝しげに見つめた。 「まだ頼りないが、人手が足りない。おまえを正式な隊員として認めてやる」  そのブランの耳に、いつになくぶっきらぼうなカイの声が響く。そして。 「ここに飾っておくより、おまえが身に着けていた方が、あいつも喜ぶ」  次に響いた、沈んだ声に、ブランはただ、頷いた。  おもむろに、カイの手からウルの牙を受け取る。カイが飾り紐に取り付けた、どこかウルに似た大ぶりの房飾りを撫でながら、ブランは涙をようやく、堪えた。
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