プロローグ スラム街にて

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 捕まったら『エクスマキナ』へのアクセス権を永久的に剥奪されてしまい、仮想空間で築き上げた地位も名誉も金も全てが失われる。男にとってはこのエクスマキナこそが現実(リアル)であり生きていくための寄る辺であった。  サイバネ化した現実世界の肉体(ボディー)では、いくらフェネチルアミン系化合物を接種してもハイになることはできない。臓器の一部分と同化した小型浄化槽が毒物と認識したものを徹底的に排除してしまうからだ。 (返り討ちにしてやる)  男は恐れを怒りに変え、己を無理やり奮い立たせた。狂暴な怒りの色を宿した三白眼は、デスクの向こう側にいるであろう追手の影を睨み付けながら行動を起こす。  男は足元に無造作に横たわる石に向かって手をかざす。彼の右掌が一瞬波打つと、皮膚の上に縦と横の線が網目状に展開された格子(グリッド)模様が浮かび上がった。  男の手に埋め込まれたペネトレイターから放射される不可視光線の有効範囲は5cm程度と短いが、対象物のソースコードに侵入し自由自在に書き換えを行うことができた。翳した手の先にある石は粘度細工のように柔く、そしてゆっくりと棒状の姿をした何かに形を変えていく。  足音の主はホテルの中に侵入してきた。硬いブーツの底がエントランスホールの床を鳴らし、静謐な空間に反響する。そしてその足音は迷うことなく真っすぐデスクの方に近づきつつあった。
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