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「…………ほーんま、甘いなァ」
しみじみと呟かれたそれに、時雨からは「あ"?」というなんとも内蔵がドキっとするような声が返される。もちろん間違っても甘酸っぱい方のそれではなく、なんなら生命の危機を感じる方のドキドキだ。
「孫溺愛するような会長の爺サンらに育てられただけあるわ」
男はスーッと目を細めると、まるで心底困ってますというような態とらしく芝居がかった動作で肩をすくめた。
「甘ァい人らに甘やかされて育ったアンタは、ホンマに時雨の血筋かて疑いたなるくらい甘ったるい思考回路しとるらしいわ」
男が喋るたび、部屋の温度はどんどん下がっていく。
……ちなみにその冷気は俺の斜め左前の人物から発せられている。
ちょ、だ、黙って……お願いだから1回黙ってくれ!
部屋が寒い、なんか寒い。気の所為かもしれないが鳥肌が止まらない。
「そんなやから────いつまで経っても、手に入れられんのと違う?」
き、気の所為だろうか……何処かからブチッという音が聞こえてきた気がした。……恐らくというか、やはり俺の斜め左前方からだ。
「テメェ……」
漠然と『なんかやばい』と思った俺は、男に見えない位置……左手で時雨の背中側の服をグイッと引っ張った。
落ち着け時雨、なんかこの人典型的な愉快犯っぽいぞ。
手のひらでコロコロと転がされるなよ、見てらんないから。
俺は自分が煽られていないからこそ保てている、僅かな冷静さをフル活用してこっそり時雨にストップを掛けた。
時雨も分かってはいるのかチラリとこちらを一瞥し、不満そうながらも男に手を出そうとはしなかった。
「くく……っ、そない毛ェ逆立てんでも〜。いやー、掠め取られんとええなぁ……ま、オレはアンタらの事は傍観するだけやから」
そう言うなり俺にチラッと視線を移し「安心してなァ〜」なんて優しく言ってくるが……なんっかこの男、胡散臭い気がして妙に信用出来ない。いや、俺なんかに対してもわざわざ目合わせて声掛けてくれるんだからいい人なのかも知れないけどさ……なんだかなぁ。
「ほな……そろそろお暇させて貰うわ。いやァ邪魔したなァ、ほんま」
そしてニヤニヤと笑う男の視線が再度、するりと俺に流れ「……そっちの別嬪サンも、またいつか」と三日月のように細めた目を向けられ、何故か背筋を何かが駆け上がるような不快感に襲われた。
…………“ また ”?
俺は彼の言葉に若干違和感を感じながらも、まぁでも普通か。社交辞令だもんな、と不快感を忘れるべく努めてスルーしようと不意に時雨の様子をチラリと伺ってみた。
にこやかにゆるゆると手を振る彼の後ろ姿を睨みつける時雨は「二度と来んな」と吐き捨てていた。
俺は時雨に理桜以上に仲の悪い人間がいたのかと、この時初めて知ったのだった。
…………ていうかあの人誰だったんだ。
時雨は不機嫌丸出しで、ついぞ教えてくれなかった。
そして当初の目的でもあった理桜の件だが、苦情を言いに来た俺以上にご機嫌斜めである時雨のせいで、本当に事実確認をしただけで終わってしまった。
……ていうか、なんで俺が時雨の機嫌取ってんだよ。解せない。
ちなみに理桜のお怒りの原因は、街中で2人が鉢合わせいつものように口喧嘩をしていたところ、時雨が俺の寝顔写真(何故持っていたのかは不明)を見せびらかしたかららしい。小学生か。
実際に見せてもらった訳じゃないのでいつのかは分からないが、やっぱそれって俺悪くなくない?時雨のせいだろと思わずにはいられなかった。
理桜も理桜だ。俺、これトバッチリもいい所じゃないか。
そもそも何故そんなことで俺にまで飛び火したんだと、どうにも納得がいかなかった。
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