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フロントのお姉さんに会釈をしてマンション内を進む。
エレベーターで上階へ登っていき、到着の音を聴いて降りると、広い廊下を歩き自室へと向かう。
ガチャ────···
鍵を開けて中に入ると、物が少ないスッキリとした玄関。
さらに進めば広く殺風景なリビングが目に入り、真っ白な壁とフローリングが、ツルツルと無機質に反射した。
締め色にソファやテーブル、カーテンにキャビネット、ダイニングテーブルや椅子、キッチンなどの家具は黒で統一されているシンプルな部屋。
このマンションで暮らす際、最低限必要なものとして揃えて送られてきた家具以外に、ここ一年で特に目立って増えたものはない。入居時から大して変わることのないこの空間は、ただでさえ広い部屋を更に広く、寂しげに見せていた。
鞄を適当に床へ置くと、俺はソファに寝転んだ。
「…………疲れた」
……1人になった時は普通に声を出さないと、ときどき不安になる。
あまりに普段から最低限の事しか話さないでいると、いつかちゃんと話せなくなったりしないか、と急に怖くなることがあるのだ。
普通に話したい────
もっと大きな声で、ハキハキと。
突っかえたりせず、長く、沢山。
最近、特にそう思うのは笠田と話したからだろう。今までは時雨にだけだったが、この間は笠田に挨拶を返せたのだ。
笠田は俺と違ってよく喋り、少し煩いけど、いつもクラスで誰よりも早く、多く、俺に話しかけてくれる人だ。
……よくガラの悪い教師に煩いと怒られている。
あの校風では当然と言えば当然なのだが、夜桜高校の教師の殆どは元ヤン臭がするタイプである。
うちの学校では教師として『教え方が上手い、生徒を慮れる』とか、そういう一般的なところよりも、『生徒を物理的に止めることが出来るか否か』が重要視されるのだ。
……まぁ、舐められないかどうかとか、そういう面もあってほぼ自動的に元ヤン風の教師等が採用されるのだろう。
彼らに怒られ、口を尖らせながらもギャンギャン噛み付く笠田の姿はまるで小型犬のポメラニアンや、よくて柴犬などの中型犬を連想させられる。
キャンキャン周りに吠えつつも時雨や川崎先輩……あと、何故か俺……などの人間にはキラキラとした笑顔を向けて着いてくる。
ふとそんな笠田の姿が頭に浮かぶが……幻覚だろうか、幻覚だな。その頭部には髪と同じ暗い茶の犬耳がピコピコと生えており、同じ毛色のしっぽをプロペラよろしく、ちぎれんばかりに振っている。
「ふ………、っ……ぷ、ははっ…む、無理、むりむり……っ」
うん………ある意味、似合っていると思う。
俺は堪えきれずに一人で笑ってしまった。少し恥ずかしいが、それよりも脳内に流れる笠田の幻覚が、絶えず笑わせに来ていて気にしていられない。
空色の瞳がキラキラとしているのは愛嬌があるが、如何せん妙にダサい。しかも、あの高めだがしっかりと声変わりをした、180超えの大男が『わんっ!』なんて、あざとく首を傾げながら吠えるのだ。面白くない訳が無い。
「………………洗濯、しよう」
俺は何とか笑いを収めると、真っ黒な学ランと細身のスラックスをハンガーにかけた。
一応、夜桜高校の校則として、カッターシャツの色は暗色なら何でも良いとされている。
……どこかで『淡色だと血で汚れるから暗色指定になった』とか聞いたのだが……きっと、なにかの間違いだろう。
とはいえ、うちの学校は少なくとも、俺が見る限りオール不良である。そもそもあの学校には規則なんてあってないようなものだ。
洗濯物を洗濯機に放り込むとおまかせで回し、その間に俺は入浴することにした。
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