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そこかしこからコソコソと、聞き取れるか聞き取れないかの声量で囁き続けられる多数の声。
その先にあるのは、いつもの如く私達に向けられる他人からの好奇の目。
例に漏れず現在も、周囲から絶えず向けられている色の渦は、過剰な“深い緑色”────。
そこに現れる色も、普段となんら変わりはない。
だが……それらは今日に限り、自分の前を歩く少年にも向けられていた。
────いや、殆ど彼だけに向けられていた。
「っ、おい見ろ。あの人、今日は誰か一緒だぞ……知り合いなのか?」
「いやいや、違うだろ。また事情知らねぇ他所の奴が声掛けてんだよ」
「やっぱ……?つか。じゃあ、あのイケメンこれから締められんのか……?」
「馬鹿……っ、お前ら!あんま見てんな、聞かれたらどうすんだ。だいたい、あの人は普通じゃねぇんだから────」
そんな、治安の悪い男たちの怯えを孕んだ言葉は、紛れも無く自分の前を淡々と歩む彼に向けられていた。
────···人を殺めた事も一度や二度ではない、私に対してでは無く。
見たところ、彼は日本の男子学生の平均と比べても華奢だ。
……しかし、それとは裏腹に彼に対して先程から特に顔色を悪くしているのは、その殆どが普通の男子学生と比べるまでもなく体つきがしっかりしているような不良と呼ばれる類の人間だった。
そんな、凡そ喧嘩慣れしているとしか思えないような体格の人間が恐れをなしているのは、平均よりも小柄で身体の薄い美しい少年。
……理解に苦しむな。
しかし、それも当然と言えた。何故なら、彼らは私のように力や権力に覚えがある裏の人間では無いのだから。
彼らの他、所謂普通の人間からは憧れや羨望、恐れ────そして、入り交じった好意。
……彼が恐れられ憧れられている所以をあえて言うなら、整い過ぎた顔立ちや刺すような雰囲気だろうか。
しかし、当の彼はそんな言葉や視線を気にした風もなく、いつもの事なのか相変わらず淡々と歩みを進めるだけだ。
あらゆる方向から放たれる数々の言葉。恐らく耳には入っているのだろうが、彼に動揺の感情は見受けられず、ただ続く身体の強ばり。それだけが、彼の緊張と自分に対しての警戒を顕にさせている。
不意に、暫く先導して歩いていた彼は少し速度を弛めると、こちらを振り返った。……まだ目的のバーには着かないはずだ。
「どうかしましたか?」
「…………」
咄嗟に笑顔を作りどうしたのか、と聞きつつも彼の感情が“緑色”から僅かに“淡い黄色”が混じった事を認識した。
彼は首を振るとまた視線を前に戻して歩き始めた。
彼は、ここが日本にしては治安が良くない場所だと言う事を理解しているのだろう。この状況で緑系から黄系に変わったということは、私の経験だけを元に判断するなら『“心配”された』と言うのが妥当だ。……彼相手では俄には信じられないが。
しかし……ここまで顔に出ないのも珍しいな。
今のところ不機嫌そうな顔か無表情しか見ていないが……存外、優しい子なのかもしれない。
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