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暫くして、少年はやっとこちらに視線を向けた。
その時にはこちらに対する恐れの感情が完全に戻っていた。しかし、容認や信頼と言った感情も同時に顔を出した状態で落ち着いており、その事からも少なからず私に心を許してくれたようで嬉しくなった。
残念ながら飲み物が届いてからは、時折話しかけてはみるものの、大した表情の変化を見せてはくれなかったが。
一見、彼はこちらの話など聞いていないように見えるが、実際はしっかり聞いているらしい。
表情とは裏腹に感情はめまぐるしく動き、考えている事は滲む色と、身体や仕草に出る。
僅かな変化を拾い集めれば、どうにか察する事が出来た。
傍から見れば私が一方的に喋っているかのように見える現状。しかし、私と彼の中でだけは違うはずだ。
不意に仕事仲間と連絡用の暗号を使用して会話している時を思い出したが、言葉すら帰ってこない分、こちらの方が高度な気がしておかしくなった。
────私は、少しばかり他人と違う“個性”を持っている。
イレギュラーで、偶然発現した私の生きる術。
普通の人間からしてみれば明らかに異常だろうが、私たちの界隈では珍しくはあるものの有り得ないものでは無い。
勘がいい人間にはじまり傷の治りが早い人間など、能力自体は様々だがそれらの頭には『異様に』というフレーズがつく。
組織の中で一番多いのは、無意識に抑制されるはずの潜在的能力を意識して使用出来る人間だが、これは個人差が激しいため平均例を挙げるのも難しい。
数ある能力者の中でも、私は『他人の感情に過敏』な人間だ。
しかし、たまたま他人の感情を色として認識することが出来たと言うだけで、正直一般人との大した差はない。
他人の感情が『読める』と言わない理由も、私は上辺だけの感情を読み取っているに過ぎず、心や考えを読んでいる訳ではないからだ。
ゆえに、彼の心の声なども私の勝手な想像で、あくまで予想の域を出ない。
そしてそれは、仕事の際でも同様だった。
当時の私はその偶然にこれ幸いと喜び、迷うことなく裏社会の人間として生きた。
しかし、居場所を得る為だけに利用してきたが、こんなところでも役に立つとは感慨深い。
とはいえ。
こうも私が彼の感情を読みとりやすのは、彼自身が私に多くのヒントを与えるからだ。
私が目に映る色を観察し多少の努力をするだけで、言いたい事の殆どを察することができるほど、彼は忙しなく感情をくるくると動かす。
ただ不思議なのは、彼が傍から見ればただただ無表情、もしくは不機嫌顔を晒していることに変化は無いことだろうか。
彼は……器用なのか不器用なのか、わからないな。
***
時刻はじきに20時を指す頃あい。
当初の目的であった待ち人達も、いくらかしないうちにここへ来るだろう。そんなことを考えていると、不意に彼が席を立った。
どうやら不思議で楽しかった時間は、もう終わりらしい。
入口まで送ろうと申し出たが、彼は立ち上がろうとした私に対し首を振った。
私はそんな少年の、照明を受け虹彩がチリチリと星のように輝く赤い瞳をじっと見つめた。
が────そこにあったのは初対面の瞬間と同じ、緑色だけだった。
……これは、分からないな。
私は眉を下げて頷くにとどめ、立ち上がる事はやめておいた。……必要のないところで無理に食い下がる必要は無い。
「そうですか……」
「……」
私は残念そうに呟いて曖昧に笑い薄汚くも罪悪感を刺激しようとしたが、彼は私の言葉にただひとつ頷くと、私の横を通り空間の外へ歩いていってしまう。
あぁ……本当に、こんなに興味を刺激される人間は初めてだ。
だと言うのに、君は────···
貴重な私の関心を拐っておきながら、呆気なくこの私から去ろうとする。
────欲したが手に入らない。
ああでもそれは、有り得ない事だ。
有り得てはならない事。
私は組織、“Eden”の幹部。
掟に従い、幹部に跪く。そして時に、暇を持て余した猛獣が獲物を弄ぶかの如く残酷に。
そして────娯楽対象は、必ずその手に。
だから……
「っ────!?」
パシ────···
肌と肌が衝突し、小さく乾いた音が響く。
私は彼が横を通り過ぎる瞬間、その白い手を攫った。
そして、ピクリと僅かに震えた手の甲にキスを落とす。
「!!…………っ」
「……では、お気を付けて」
私は瞳を細めて自然に微笑んだ。
Edenに靡かないなんて、許さない。
────これだけこの辺りで恐れられている彼の事だ、調べれば簡単に情報は集まる。
この容姿を駆使し、今までどれだけの仕事をこなし、そして生きて来たと思っているのか。
この白髪も淡い金色の瞳も、計画の道具として組織の人間の興味を引いた要因だ。
たとえ必要とされた当時の役目が、使い捨ての囮だったとしても。
そして私は己の豪運で生きながらえた。
ただ死ぬだけだった筈の私の命は、感情の色が見える能力で組織の人間として認められることに成功した。
元を辿るならば、この容姿が無ければ今の私は存在し得なかったのだ。
能力がなくとも、道具としての価値を見出した私の色、造形。
それに何も感じないなど、有り得ない。
サラサラとした癖の無い黒髪。
ルビーの様に紅い瞳の真っ黒な瞳孔は驚きに開かれ、作り物のように白い肌……は……
……いや、肌が、
見る見るうちに紅く染まった。
────初めて、彼の顔色が変わった。
そして…………その、表情も。
彼の華奢な眉が下がり、つり上がった目は猫のように大きく見開かれる。深紅の瞳は星が弾け、涙が零れ落ちそうな程に潤んだ。小さな唇は震えていた。
あまりの変化に、今度は私の方が固まってしまった。
彼に手を引き抜かれた後も、驚きのあまり行き場を無くした手は空をかいたまま、暫く動かすことも出来なかった。
そして、間抜けにも私が放心している間に、彼は足早に店を飛び出してしまったのだった。
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