異端弁護労

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 弁護士を呼べ、なんて言葉はそんなに使うことがないのでしょう。普通の平穏な生活をしているなら当然。そしてそれが一番良いことなのですが、どうにもそうはできない人間も居るのです。  世の中に弁護士というものが居なくならない限りにその言葉は有効なのでしょう。そして、秋森穂乃果はその弁護士として生きていました。  この秋森という弁護士の普通と違っているのは、裁判によらない解決方法が多いということなのでしょう。正直彼女はこの数か月、仕事の案件はすべて裁判によらないで解決していた。  裁判によらないと言えば恩恵派で事案を穏やかに解決するという想像がつきますが、それは彼女の方法とは違いました。どちらかというと恐喝とも思える手法です。  しかし、秋森の普段は猟奇的ではありません。いたってのんびりしているのです。今日も事務所の自分のデスクで好きなコーヒーを片手に週刊誌を読んでいます。 「暇」  一口苦みの効いているコーヒーを啜ってから秋森は呟きました。 「秋森さんが暇なのは世間が平和ということですよ」  それに答えたのは助手の前島芳樹です。彼も存分にのんびりと新聞を読んでいます。  弁護士の仕事はこんなに楽なのかと思うでしょうが、これも一応彼女達の仕事でもあります。法律相談をできそうな案件を探して、それをこちらから営業をかけようと言うのです。  しかし、困難な事案はそうありふれているものでも有りません。二人とも仕事を探しながらも良い案件は見つからないので普通に読書の時間となっていました。 「ちょっと、そこの暇な人ー」  所長からの言葉が聞こえましたが、秋森はそのくらいのことには反応しません。なので所長はまた「おーい!」なんて呼んでいますので秋森は「暇な人、よんでるよー」なんて他人事にしています。 「君たちの事だよ」  すっかり読書に勤しんで椅子にもたれかかって行儀も悪くふんぞり返っている秋森の後方に所長が居ました。 「あたし? こう見えても忙しいんだよ。きっちり事案を探さないと、零細事務所が潰れてしまうから」  一応この法律事務所は儲けている方になります。弁護士の数もそれなりに多くて、事務所自体も綺麗な佇まいで、秋森の言うのとはちょっと違います。 「潰れないから。そして、仕事だからね」  仕事は自分たちで見つけるものだけでは当然有りません。こうして所長から振り分けられることも有ります。 「んー、今回はパスで」 「馬鹿なことを言うな」 「だってー。所長の仕事ってメンドーなんだもん」  秋森は気分屋です。自分の気に入る仕事以外は燃えません。特に誰かに指示されるのは気に召しません。 「そりゃあ、君は優秀だから難解な案件を任せているからな」 「そう! 優秀なの。だから案件は選んでね」  所長と秋森の会話は上司部下のそれではないので、秋森が偉いように思えますが別に実力からそう言うのでは有りません。二人は古い知り合いだからなのです。 「優秀な君にしか頼めないんだ」 「ほう、どんな事ですかいな」  簡単に「優秀」という言葉に秋森が気を良くしています。  横のほうで前島が呆れた顔をして「上手く使われてるよ」とだれにも聞こえないようにつぶやいていました。 「飛び込みの案件なんだが、不当に会社に解雇されそうになっているんだ」 「社会の敵ですな」 「そう。そしてこんな難解な事案を解決できるのは君しかいない」  強い言葉が有りました。それと一緒に所長は秋森の両肩を頼るように叩いていました。  秋森はそれで立ち上がると、所長のほうを振り向きます。 「まっかせなさい! 優秀な弁護士であるあたしが解決してしまいますとも!」  誰から見てもそれは乗せられているのはわかり、ほかの弁護士たちも笑いを堪えるのを必死でしたが、秋森のほうはそうは思ってません。しかし、彼女は馬鹿では有りません。本当にこの事務所では優秀なので所長の言葉も嘘ばかりではないのです。 「じゃあ、依頼人は相談ブースに居るから」  ニコっと所長は笑うと、秋森の肩をもう一度叩いてからそそくさと所長室のほうへ逃げました。 「さて、マエ。しごとだよー」  さっさと用意をして相談ブースの方へ意気揚々と秋森が向かいますが、前島はため息をついています。前島は所長の意図を良くわかっている様でした。  数十分過ぎて相談が終わって依頼人が帰ると、秋森は見送りをしたその足で所長室へ駈け込んでました。 「ちょっと、どういう事だい!」  よほどの足音とドアを開く音だったのでしょう所長は秋森が現れた時にはもう自分のデスクに、地震のごとく避難していました。 「あんな依頼受けんなよ!」 「まあ、そう言わないでよ。相手方もこちらの事務所とは関係のない会社だし、一応依頼人の言い分は通ってるでしょ?」 「通りますけど、アレは無いわ」  今回の依頼は会社から不当解雇されたことによる賠償請求です。依頼人は急に解雇を言い渡されたので、通常の解雇勧告期間を会社側が守って無いので正当と言えます。依頼人は可哀想な被害者の立場にあります。  しかし、秋森の怒っているのはその依頼人の態度でした。依頼人は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとの印象で会社の悪口を延々と述べると、到底一般会社員が請求する金額とは思えない賠償金を求めていました。 「その辺の都合を合わせるのも弁護士の仕事だよ」 「あたし個人としてはあれだけ文句を言う人なんて泣き寝入りすれば良いと思うけど」  かなり依頼人は強気で会社の悪口を言ったのでしょう。秋森も一応人間なのですから可哀想と思うことも有りますが、今回は会社のほうが可哀想になっていました。 「解雇理由についても正当で、期間が不当なだけですよね」  秋森に遅れて前島も所長室に到着して一度秋森の怒号を止めるために咳払いをしてから話しました。  解雇理由については依頼人が真面目に仕事をしないで、そればかりか仕事で失敗ばかりをするのに待遇に関して不当だと他の社員を巻き込んで仕事のボイコットまで企てていたからでした。  会社からは数度の注意をしていたらしいので、その点についても文句を言えません。 「退職金もきっちりもらってるのにまだ賠償とか言うのがあたしは気に入らん」  今回、依頼人はきちんと退職金はもらっています。確かに解雇勧告から即日の解雇は不当なので賠償自体はできますが、心証としては依頼人が悪いようにしか思えません。 「そう言わないで、解決して見せてよ」 「この案件って、他の弁護士が引き受けないからあたしに回した?」  当然ややっこしい案件で有りますので弁護なんて誰もしたく有りません。そんな時に都合よく暇そうで腕も確かな秋森に所長が振ったという予想は間違いとは思えませんでした。 「そんな事ないよ。難しい案件だから君に任せようと」  所長は今の話をきっぱりと否定しましたが、正直なところを言うと他の弁護士に頼んでも断られたり良くない顔をされるので、面倒な案件として秋森に頼むことにしていたのは確かなのです。 「ったく。気は進まないんだけどなー」 「他に案件無いでしょ?」  今の秋森は暇なのです。それは仕事ができるからで案件を直ぐに解決するからでもありました。でも、暇なのは変わり有りません。他の弁護士たちは今も忙しそうにしています。なので、秋森も無下に断れる状況では有りませんでした。 「観念するしか有りませんよ」  前島の言葉にがっくりと肩を落としながら秋森は承諾したようでトボトボと所長室から去りました。その姿に所長はホッとしながらも前島と顔を合わせてため息をつきます。  自分のデスクに戻った秋森でしたが、いつまでもうなだれているわけでは有りませんでした。基本的に与えられた仕事はきっちりとする彼女です。今もこの案件に取り掛かろうとファイルを開いていました。 「秋森さんってそういうところは真面目なんですよね」  その姿を見て一応褒めておくべきだと思った前島が言いますが「そうでもないよ」と怖い目つきをして秋森は前島のことを見ていました。 「こんな仕事するだけ無駄だ。あたしが所長なら断ってる。あんな人間救けなくて良いよ」  散々な言い方をしています。とても弁護士とは思えないと前島は思っていました。 「でも、こんな仕事も弁護士には必須なことですからね」  どうにかなだめるしか有りません。 「この頃アクティブに動いているから低燃費運転をしないと地球環境に悪い」  急に秋森がおかしな事を言い始めましたが、確かに秋森の最近の案件は相談や書類そしてもちろん裁判で終わるようなものばかりでは有りませんでした。と言うか、元々秋森は案件に対して細かく現場周りをするのでいつもの事でも有ります。  しかし、燃費や環境とは全く関係が有りません。 「じゃ、そう言うことで今回は楽をしよう!」 「それは俺も救かります」  普段フットワークの軽い秋森以上に助手の前島は走り回らなくてはなりません。なので楽なのは望むところなのです。 「お前は仕事だ。ほら、相手の会社に電話して事情を聞け!」  秋森の言う低燃費というのはどうやら自分は働かないで前島を動かそうということらしいのでした。ハイブリッドな作戦です。  一応秋森は調べものをしたり、対策を考えたりしていますが基本的にはデスクから動きません。その横で前島は相手となる会社に電話をして取り合えず事情を聞いて、実際に会って話を聞く約束も取り付けていました。 「明日の十時にアポイント取れました」 「じゃあ、ヨロシク!」  前島が連絡事項としてまず面談の予定を知らせると、秋森はピョンっと片手を挙げて退勤時間になっていたのでその足で帰りました。そしてもちろん次の日の面談には前島だけで向かうことになりました。  事務所でのんびりとしながら秋森はコーヒー片手に今回の事案に関係した情報を集めています。一応気にはなっているのでした。そしてずっとコーヒーを左手に持ってその中身がなくなった頃にのそっと動きました。向かうのは所長室です。  所長室ではこちらも現役弁護士として主に裁判を扱っている所長が、デスクワークをしていましたが、秋森の姿を見るとちょっと怖がって避難しようとしました。 「相手方と面談の予定じゃなかった?」  分厚い法律書を頭の上で広げながら所長は聞いていました。  それに対して暇そうに秋森は所長室にあるファイルを勝手に開きます。それは顧客名簿でした。 「今回はマエの社会勉強にさせた。それより相手の会社って結構大きいところだね」 「そりゃまあ、一応名の知れた企業ではあるな」 「因みに顧問弁護士がいない」 「まあ、あの程度ならいないところ有るしな」 「ふーん」  パタンと秋森はファイルを閉じるとこんな会話だけで所長室を離れます。意味の分からないのは所長で「なんなんだ」と安堵しながらもグチています。  時間は過ぎて前島が戻ると秋森は相談ブースの方で報告を聞くことにしたので前島を呼びます。若干疲れた表情の前島は一息つく暇も有りません。 「ちゃんと面談はできましたかいな?」  椅子の背もたれに身体を預けながらのんびりとしている秋森は聞いて、その向かい側で前島は手帳を開きました。 「俺だって秋森さんの助手になって長いんですからこのくらいは。正直あの会社は平身低頭で依頼人のできるだけのことはするとのことでした。正直、俺は会社側の味方になりたいくらいですよ」 「こんなことくらいで裁判沙汰にされても困るだろうし、勧告期間だってあの依頼人じゃ仕方がないかな。良いんじゃない? 会社の味方すれば?」 「そんな事できるわけないじゃないですか。依頼人が違いますから」 「ほう、わかってるじゃない。と言うことはどうしたんで?」 「一応相手方に依頼人の要望は伝えましたよ。驚いてましたが。正直秋森さんの仕事は依頼人の納得する金額の交渉でしょう」 「それはマエの仕事な」  あくまで秋森はのんきに他人事のように話しています。 「今回の案件の全てを俺に任せる気ですか? 俺は弁護士じゃないんですよ」 「資格の問題じゃないでしょ。法律相談で終わりそうだから」 「それ言ったら秋森さんの案件は全部そうなるでしょ」 「安心しなさい。ちゃんと決裁はあたしが取るから。んで? 依頼人の方は?」  秋森は前島に対して相手方だけでなく依頼人にも連絡するように指示していました。とは言えこれはいつもの基本の行動なので前島に文句は有りませんでした。 「相手方が反省していることは納得できたみたいですけど、金額的には折り合いつきませんよ」 「要求額はワイドショー的な額だからね。一般会社員のレベルを知らないんじゃない」 「それは言えてますが、困りますよ。しかもこちらの依頼料が差し引かれることも文句言われましたし」 「そりゃあ、たいした人だねー」  ケラケラと秋森笑っています。とことんのんびりでも有ります。 「この状況、楽しんでません?」 「楽しいよ」 「悪魔め」 「この言われよう」  そんな前島の文句に対しても秋森は笑っていました。 「安心しなさい。あたしも考えてるんだから。さて、問題は交渉術だねー」  どうやら自分だけに任された訳ではないことがわかって前島はホッとしながらも、秋森がどういう対策をとるのかは気になりました。 「まー、今日は放っといて明日にしよう」 「のんびりですね」 「弁護士が暇そうにしてもダメでしょ。忙しい演技もしないと」  流石に前島のこの言葉には呆れましたが、それからの秋森と言えばのんびりとコーヒーを楽しむ時間ばかりなのでした。  翌日、この案件は終わりを告げることになります。依頼人はもう呼んでいますので残りは秋森の交渉次第でしたが、その姿が有りません。  依頼人が表れても秋森は事務所に戻らず、前島は「逃げたのか」という言葉も呟く程でしたが「お疲れー」とまたのんきに秋森が戻って、それは相談ブースにいる依頼人には聞こえないのが救いでしたが、前島は焦っています。 「依頼人が待たされてるんで怒ってますよ」 「こっちも忙しいんだって言ってやりなよ」 「忙しかったんですか?」  正直今回はのんびり宣言をしているので前島はこの秋森の言うことが信じられませんでした。 「働いちった」  そう言うと秋森はそれ以上前島と会話なんてしないで自分のコーヒーだけは見逃さないで持つと、相談ブースへと進みます。  依頼人は明らかに怒っている様子で秋森の事をにらんでいました。 「今まで相手方と交渉してましてお待たせした様で」  そんな言葉から始めましたが依頼人はヒステリックになるくらいです。そして前島も嘘なのではと思っています。 「つまり相手方としては非常に遺憾ではあるが、金額的に都合がつかないとの事でして」  それは当然と言えることで、依頼人の要求額は法外なのです。  しかし、依頼には「はい。そうですか」と納得するはずも有りません。さんざん文句を言うと、また弁護料の事まで文句をつけていました。話し合いはまだ続きそうです。 「前島くん。相手方に増額できないか再度電話を」  あまりに依頼人が納得しないので秋森はしょうがないとばかりに前島に指示をしました。けれど、それは無駄と言えます。前島が相手方を訪れた時に限界額を聞いてそれを依頼人に提示しているのです。秋森もこれ以上の増額は期待できないと理解しています。  それでも前島への支持は変わらないで「依頼人をお待たせしないで」と急かしていました。その表情がいつもより優しいのでなんだか考えが有るように思えました。  前島は相談ブースを出ると相手方の会社へと電話をしましたが、返答としては増額はできないとの事でそれ以上前島も説得はしませんでした。そして交渉をしていると思わせるためにしばらく時間を置いてから相談ブースへと戻ります。 「あちらはこれ以上は難しいとの事です」  依頼人にもあえて聞こえる様に秋森に伝えました。前島はちょっと相手方の味方をしています。 「と言うことなのですが、今の提案で納得できないでしょうか? 我々としましてはこれ以上の手はないと思っておりますので」  非常に申し訳なさそうに秋森が言いましたが、前島から見るとそれは演技にしか思えません。  しばらくして依頼人を事務所の玄関で見送りをしました。その帰りの姿はルンルンとしている様子です。 「また勝たせちったな」  依頼人は提示の金額で納得して今回の騒動を終わらせることにしたのでした。正直、前島にはその意味が分かりません。 「勝ったのは良いですけど、どうやって説得したんですか? あの依頼人は金額を譲るようには思えませんでしたけど」 「まあ、金額は上げたさ」 「そんな! 相手方はあれ以上出さないでしょ。まさか秋森さん自腹を切るんですか?」 「どうしてあたしがそこまでしなきゃならん」 「だって、そのくらいしか方法が見当たりません」 「他から捻出したのさ」  二人は話しながら事務所のほうへ戻ろうとしました。 「酷い所属弁護士だよ彼女は」  振り返った瞬間に所長がつぶやいていました。 「そんな事を言われるかい? 顧客を確保したのに」 「だけどな。今回の報酬は無しじゃないか」 「その分はあの会社の顧問になって儲けられるじゃないですか。あたしが今日説得したかいが有りましたよ」 「あくどいな」 「賢いと言いなさいな」  所長と秋森の会話を聞いて前島はだんだんと分かりました。  削ったのは依頼料の部分なのでした。恐らく秋森は今回の依頼料は無しにしたのでしょう。その代わりに相手方の会社へ依頼人を待たせてまで顧問弁護を引き受ける説得をしたのでしょう。  悪い解決方法では有りますが、この場合依頼人も納得して相手方にも損はさせてません。そして事務所にとってはこれからの利益を考えるとむしろプラスにもなります。  秋森と言う弁護士には叶いません。前島はこの人の実力と言うものを改めて思い知らされていました。そして尊敬と言う言葉にもなりますがそれは言いません。 「遊んでんなよ」  今の所で考え事をしていたのでふいに名を呼ばれ前を向いて進みました。 おわり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加