600度の贈り物

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 父が倒れたとき、寛基は高校生だった。私は毎朝5時に起きて家族の朝食と弁当を作り、朝10時から夕方4時までパートで働き、帰宅後は着替えもそこそこに夕食に取りかかった。週に2日ある休日のうち、1日は自宅の家事を片付け、残りの1日は実家の家事と父母の諸用に奔走した。  息子が進学して、若干時間に余裕が出来ると思った矢先、今度は母の介護が始まった。隣県に嫁いだ理美も仕事を持っていたし、彼女には中学生と小学生の子どもがいて、まだまだ手がかかる。介護保険を使ってヘルパーさんを手配しながら、私が実家に通うのは必然だった。  結婚するまで実家で暮らしてきたし、母との関係にわだかまりはなかったから、多忙なりにも介護生活は苦ではなかった。そのうち息子が就職したら、もう少し介護にかけるウエイトを増やしても構わないかも、なんて漠然と考えてさえいた。  だから、今春の辞令――夫の転勤は、青天の霹靂。しかも新しい勤務先は、瀬戸内海を挟んだ四国の地方都市。ここより田舎への移動ではあるが、営業所長への昇進なので、内容としては栄転だ。50も半ばを過ぎた夫ひとりを、慣れない土地での新生活に送り出すことは出来なくて、家族会議を重ねた結果、実家の売却と母の介護施設への入所を決めた。 「ごめんなさいね……」  誰に言うともなく、謝罪が溢れる。納得したつもりでいたけれど、この家に未練がある。状況が許すなら、本音は手放したくなかった。せめて。せめて、庭の桜が咲くまでは――。 「ただいまー!」  呑気な息子の声に、我に返る。スマホを見ると、もうすぐ2時。不動産屋さんと書類を交わしたら、夫の車に荷物を積み込み、その足で母を介護施設に送り届ける。入所の手続きは、既に済んでいるので、今夜からすぐに新しい生活が始まるのだ。 「もう、お母さんったら、話が長いんだからぁ」  ドヤドヤと賑やかしさを伴って、理美達が帰ってきた。引き渡し直前で室内に泥汚れを持ち込まないために、彼らは木戸を潜り庭に回ってきた。 「だってねぇ、今生の別れになるかもしれないのよ?」  妹が押す車椅子に乗って、母はご近所のお友達にご挨拶巡りを済ませてきた。スッキリと晴れやかな表情だ。 「やだ、大袈裟よう。外泊のとき、こっちに連れて来てあげるって!」  介護施設では、外泊許可は月に一度申請出来るそうだが、実際に叶うかどうかは、引受先の家族次第だ。我が子のこと――妹の性格を分かっている母は、黙って微笑んでいる。  入所後、関わりのバトンは理美の手に渡る。私はもう決定権を持ち得ない。ようやく肩の荷が降りたのに、安堵するかと思いきや、喪失感が際立った。
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