600度の贈り物

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「ちょっと、見て!」  縁側で理美が庭木を指差す。3m弱の、まだ成長途中の桜は、父が銀婚式の記念に買ってきたもの。園芸はからっきしの素人なのに甲斐甲斐しく世話をして、5年後の春、ようやく7輪だけ花を付けた。以来、少しずつ花数を増やし、我が家の花見は縁側になった。 「お父さん……間に合ったわねぇ……」  車椅子から見上げる母は、淡い陽光にうっとりと目を細める。 「ほら、ばあちゃん。これならはっきり見えるだろ」  寛基はスマホのカメラで撮影した桜を、画面上で拡大(ピンチアウト)した。 「あらあら……本当だねぇ!」  2人は顔を寄せる。孫の手元を覗き込んで、母は乙女のように声を弾ませた。 「あと17度だったもんねー」  縁側からノソノソと上がり込んだ理美は、畳の上にだらしなく足を投げ出した。母に付き添って町内をあちこち歩き回ったのだから、その功労に免じて小言は口に出すまい。 「なによ、17度って?」 「母さんが、カレンダーに書いていたでしょ」  彼女は、自分のトートバッグからステンレスボトルを抜き出すと、グビリと喉を鳴らした。 「『開花600度の法則』ってのがあるんだって。確か2月1日を起点にして、毎日の最高気温を足していくの。合計が600度に達したら、桜が開花するらしいよ」  あの暗号……日付の下に毎日書き込まれていた謎の数字は、最高気温だったんだ。 「ねぇ……もしかして、あんた、あの記号の意味も知っている?」  息子が撮した画像を見て喜ぶ、母の背中を眺めながら、少し勇気を出してみる。 「ああ、丸とか三角のこと?」  私の密かな緊張など微塵も気づかず、妹はあっけらかんと答えた。 「おかしいよね、あれ。姉ちゃんが三角で、ヘルパーさんが丸、私は」 「いいわよね、あんたは花丸」 「え、違うわよ。私のは。私が泊まったら、夜は、いっつもラーメンだったの」  カラカラと笑う。呆気に取られていると、彼女は私の肩をポンポンと叩いた。 「やだぁ、知らなかったの? 姉ちゃん、泊まった次の日、おにぎり握って帰ってたでしょ」 「おにぎり……」  確かに、朝ご飯を食べたあと、お昼ご飯用に握って帰るのがルーティンだった。 「そ。三角おにぎり。ヘルパーさんは、丸くしか握れないんだって」  ばっかみたい。母は、私達姉妹を評価なんてしていなかったのに。勝手に思い込んで、拗ねていたなんて。
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