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 一週間入院した後、僕は学校に復帰した。と言っても、思いのほか体にも心にもダメージがあったようでいきなり教室には行くことができず、まずは保健室登校から始めた。時間割に合わせて保健室で自習をし、しんどくなったらベッドで休む。高海は授業の空き時間によく保健室を訪ねてくれた。スクールカウンセラーとも話をしたが、高海と話している時の方が僕の心は癒やされるのだった。  放課後は家政部にも復帰した。長期間勝手に休んでいたけれど、みんな温かく迎えてくれて僕は安心した。  ある日のこと。 「おい、遥。これはなんだよ」  高海が保健室に入るなり僕に詰め寄る。その手には進路調査表。 「進路希望『秘密』って、これじゃ指導しようにも出来ねぇじゃん!」 「大丈夫ですよ。三年になったらちゃんとその時の担任に言うので。あなたには秘密です」 「ええ〜、俺にも教えてくれよ。気になる〜!」  ぶすくれた高海の顔が面白くて、僕はあはは、と声を出して笑ってしまった。 「お? 遥が笑った! そんなふうに笑うの初めて見たかも」  そんなふうに、僕はゆっくりと回復していった。好きな人と過ごす時間はとても温かくて、この冬はなんだかそんなに寒さを感じなかった。  月日はあっという間に過ぎ、春も近づく三月下旬。僕はもう保健室登校をやめ、教室に行くようになっていた。終業式のその日、教室のドアを開けるとみんながざわついていた。どうやら教員の異動が新聞に載っていて、それを広げてみているようだった。 「タカミンいなくなっちゃうの?」 「まだたった一年なのにね」 「残念〜。好きだったのに」  女子たちの話す声を聞いて僕は愕然とした。高海がこの学校からいなくなる。そんなこと考えたこともなかった。 「おーい、みんな席につけよ」  当の高海の声で我に返る。出席簿を小脇に挟んで高海が教室に入ってきた。 「せんせー、いなくなっちゃうんですか」  とある女子が手を挙げて高海に訊ねる。 「おう、見たのか。西高に転任になった。お前らの卒業見届けられないのは残念だけど、来年も頑張れよな」  僕は信じられない気持ちだったけれど、終業式の後の離任式で高海が最後の挨拶をしているのを見てだんだんと実感が湧いてきた。春の始業式で、高海が同じように挨拶をしていたのを見たのが遠い昔のように思える。あのときは僕の苦手な陽キャだと思ったし、高海が担任だと知って嫌な年になりそうだと思ったんだっけ。でも、いろんなことがあったけれど決して嫌な年ではなかった。高海との思い出が蘇ってくる。全てが僕の宝物だ。高海に出会わなかったら、僕はまだ暗闇の中にいただろう。未だに「誰にも愛されないから死にたい」と思っていたに違いない。  終業式と離任式が終わり、クラスメイトたちは下校していった。僕は職員室に向かう。高海と最後に話がしたかった。ドアを開けると、高海がちょうどいた。 「先生、」 「おー、遥。ちょうどよかった。荷物運ぶの手伝ってくれよ」  段ボールに入っていた高海の荷物を、駐車場まで二人並んで運んだ。白い大きな車のトランクにそれを積み、高海がバタン、と蓋を閉める。 「じゃあ、俺もう行くわ」  高海はあっさりと言った。 「もう行っちゃうんですか」 「おう。結局お前の進路分からずじまいだけど、立派な大人になれよ。俺は教師続けてどっかの学校にいるから、いつか教えてくれな」 「ええ。……一年間、本当にお世話になりました」  僕は目一杯の感謝を込めて深々と頭を下げた。もう一つ聞きたかった、転任になったのは僕のせいではないか、という言葉は飲み込んだ。言ったところでどうにもならないことだし、気を遣わせるから言わなくていいと思った。 「いいってことよ!」  高海は戯けた口調で、僕の下げた頭をわしわしと撫でた。僕が顔を上げるといつも通り白い歯を見せて笑い、運転席に乗り込んだ。 「じゃあな、俺がいなくてもちゃんとやっていけよ」  車がゆっくりと発進する。僕はそれが小さくなって見えなくなるまで、ずっと大きく手を振っていた。今までありがとう、そして、僕があなたの隣に立てるようになるまで待っていて、と心の中で叫びながら。  高海がいなくなってしまった学校。まだあと一年、僕はここに通わなくてはならない。ひとりぼっちに戻ってしまった。でも、前の僕とは違う。僕の心の中には高海がいる。一人でも独りじゃない。高海が僕に教えてくれた、人生の生き方と叶えたい夢を胸に携えて、強く生きていこう。僕は新しい気持ちで大きく息を吸い、顔を上げた。春の空は目に沁みるほど青く澄んでいて、とても綺麗だと感じた。
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