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 僕の右腕のギプスも取れ、春と夏の間の絶妙な時期。まだ暑すぎず、空はカラッと晴れている。この日は学校の遠足だった。遠足というと子供っぽい印象を受けるが高校生もまぁ子供だから仕方ない。しかし楽しみすぎて前日に眠れないという歳でもない。もちろんそんな経験僕にはないけれど。  クラスごとにバスに乗り込み、郊外の大きな植物公園へ向かう。午前中は班活動。僕の所属する班は観覧温室を見て回った。温室内は思っていたよりも広く、エリアごとに熱帯の植物や砂漠の植物、高山植物などが見られて、生物が好きな僕にとっては大変興味深かった。昼は広い芝生広場で食べることになっていた。大抵は芝生にシートを広げたりして仲の良いもの同士で固まって弁当を食べていたが、僕にはそんな友人はいないので、広場の隅の方の陽の当たらない場所でベンチに座って黙々とパンを食べていた。 「よっす!」  いきなり背後から大きな声をかけられて僕は肩を跳ね上げる。 「お前一人? 俺と一緒に食べてくれない?」  高海だった。紺色の布に包まれた弁当箱を顔の横に掲げ、笑顔で僕にお伺いを立ててくる。頼んでいるように見せかけて、実はひとりぼっちの僕に気を遣っているのはわかっているぞ、と思いつつその気遣いに乗ってあげることにする。 「どうぞ」  僕はベンチの端の方に詰める仕草をした。そんなに空けてやらなかったけど。 「ありがと」  高海はそんなことは気にせず、遠慮なくどっかりと僕の隣に座る。いそいそと弁当箱の包みを開けはじめた。僕はなんとなくその中身を眺める。黄色い玉子焼きが鮮やかに目を引いた。その他にも細々としたおかずが何種類か。弁当箱にわざわざ自分で詰めてきたのか、意外と家庭的だ。独身のはずなのにちゃんとしてるな。 「お弁当、自分で作ったんですか?」 「おう。まぁほとんど冷食だけどな。あ、でも玉子焼きは手作りだぜ!」  玉子焼きを箸で掴んだ高海がそれを顔の横に掲げ、ニカッと笑う。明るい黄色が高海によく似合うと思った。 「そういうお前はコンビニパンなのな」  僕は自分の食べかけのコロッケパンに目を落とす。高海の家庭的な弁当と比べると色んな意味でみすぼらしい気持ちになってくる。 「……作ってくれる人いないんで」  小学生の頃からそうだった。クラスのみんなが嬉しそうに母親の手作り弁当を自慢しあう中、僕は一人隅っこでビニール袋に入ったパンをかじっていた。だから遠足なんて好きじゃなかった。昔の寂しい記憶を思い出し少し暗い気持ちになったところで、高海がなんてことはない、というふうな明るい声を出す。 「じゃあ、自分で作りゃいいじゃん! 俺みたいに!」 「え?」  僕はその発想がなかったので戸惑った。 「もう高校生なんだから料理くらい自分で作れるだろ」 「でも僕、料理なんかしたことないし……」 「最初は簡単なのから慣れてけばいいのさ。自炊はいいぞ〜。節約できるし、コンビニ飯より栄養あるし!」  弁当の話からいつの間にか自炊することになっている。 「お前、いつも放課後暇だろ? 家政部入ったら? 俺が紹介してやるよ」  高海には僕の家庭の事情は何もかもお見通しのようだった。うちにはご飯を作る人間がおらず、出来合いのものやコンビニで各々済ませていること。そのせいで僕のお小遣いは足りなくなり、よくお腹を空かせているということ。成長期なのによくない、と言われた。それを全て解決するのが「家政部に入ること」らしいのだ。うちの学校の家政部は、放課後に料理やお菓子を作っているらしい(高海はお腹が空いた時によく分けてもらいにいくそうだ)。部活で作った料理やお菓子でお腹も満たせるし、自炊もできるようになるという一石二鳥だというのだ。 「自炊できるようになったらさ、僕が作るからって食費預けてもらいなよ。やりくりすればへそくりもできるかもしれないぞ。な、いいと思わねぇ?」  そんなに上手くいく話があるだろうか。僕は怪訝な顔をする。 「まぁ部員が女の子ばっかてのはあるけどさ。でもモテるかもしれないぜ? 料理できる男子がいいんだろ、最近は。あと、部費の問題もあるけど、それは俺が立て替えといてやるよ!」  よし、決まりな!と高海は白い歯を見せて笑った。ちょっと強引な流れですっかり家政部に入ることが決まってしまった。僕は高海の屈託のない笑顔を眺めながら、この人には敵わないな、と思うのであった。  翌日の放課後、高海に付き添われて僕は家庭科室へ足を踏み入れた。その日は見学ということだったが、もう入部したかのような歓迎を受けてしまった。部員の女子たちが僕を取り囲む。僕はそんなシチュエーションが初めてだったので内心焦った。 「遠野くんが家政部に入るなんて!」  まだ名乗ってもいないのにそんなことを言われ、僕は狼狽える。 「あの、僕のこと知ってるんですか」 「もちろんよ! 有名だものね」 「有名……?」  僕が首を傾げていると、ショートカットの女子が歩み寄ってきて僕にエプロンを渡した。 「はい、これ着けてちょうだい。……遠野くん、隠れファンが多いのよ。『憂いを帯びたミステリアスな美男子』ってね」 「お〜! よかったな遥!」  高海が笑ってまぜっ返してくる。僕はひたすら困惑した。なんだ美男子って。確かに美人と言われる母に顔が似ていると言われることはあるけれど。ミステリアスに至っては意味がわからない。何も考えてないというか、毎日早く死にたいなと思っているだけなのだけれど。  先ほどエプロンを僕に渡したのは、クラスは違うけれど同じ二年の部長だった。名前は桃井里香子。マニッシュな髪型から受ける印象の通り少しクールな感じで、ともすれば雑談に偏りがちな女子の集団に、よく通る声で指示を出しまとめるしっかり者だった。この日は彼女が僕の教育係だった。 「じゃあ今日は火加減を覚えるためにオムレツを作ってもらうわ。まずは手を洗って」  言われた通り石鹸で手を洗って清潔な布巾で拭いたあと、ボウルに卵を割る。里香子に平らなところで卵を叩くのだと教わったけれど、卵を割るのさえ僕は初めてだったので手元がおぼつかない。割れた殻が入ってしまって、卵の中で逃げるそれを菜箸で捕まえようと奮闘する。 「なかなか修行しがいがありそうじゃん」  高海が腕組みをしながら僕の様子を見つめて楽しそうにからかってくる。 「うるさいです。あなた自分の部活は行かなくていいんですか」  高海はバスケ部を受け持っている。 「あっ、そうだった! じゃああとは頼むなリカコ」 「ええ、遠野くんの花嫁修行は任せて」 「!? 花嫁……?」  里香子の冗談に困惑する僕をよそに高海は白い歯を見せて爽やかに去っていった。  僕の初めてのオムレツ作りは難航した。里香子もここまでとは思っていなかったらしくて、厳しく何度も教えられているうちに、最初は「遠野くん」と呼んでくれていたのがいつの間にか「遥」と呼び捨てにされていた。まぁいいんですけど。  初めは火力が弱くてフライパンにくっついてしまったし、かと思えば火が強すぎて焦げてしまったり。卵ひとつ焼くにしても難しいものなんだな、と思った。高海の弁当に入っていた綺麗な玉子焼きを思い出す。地味にすごかったんだな、あれ。実際にやってみないとすごさがわからないことって結構あるよな。  結局二時間くらい使って、やっとまともなオムレツが一つできた。それは窓から差し込む夕陽に照り映えて黄金色に輝いていた。ほどよい疲れとともに、なんとも言えぬ達成感が胸に湧き起こってくる。 「じゃあ試食する?」  里香子が言う。しかし僕の頭の中にはこのオムレツを食べて欲しい人が浮かんでいた。その人物はちょうど家庭科室の窓から顔を覗かせていた。 「おーい、できた?」 「もうバスケ部は終わったんですか」  高海が家庭科室に入ってくる。 「あと片付けだけだから任せてきた」 「今から試食会するの。と言っても綺麗にできたのは一つだけなんだけど」 「おー。じゃあそれは遥が食わないとな」  高海が僕に振り返り微笑む。 「……あなたが、食べてください」  僕は俯きながら言う。小さな声になってしまった。 「え、俺? いいの?」 「僕は失敗したやつ食べなきゃいけないんで」  自然な流れで、上手い言い回しが出来たように思う。 「じゃあ遠慮なくいただこうかな」  白く丸い皿に黄金色の半月を盛り付け、高海の前に恭しく差し出した。高海が銀のフォークでそれを割ると中から月の光がとろりと漏れ出す。  高海の口にフォークが運ばれるのを僕ははらはらしながら見守った。自分の作ったものを人に食べてもらうなんて初めてだ。作ったのが初めてだから当たり前なんだけれど。  高海は一口をゆっくり味わった。その間も僕はずっとドキドキしていた。やっと彼が口を開く。 「うん、美味い! よく出来てるよ、これ!」  僕はホッとして肩から力が抜けたのを感じた。 「とっても美味しいぜ! よく頑張ったなぁ、遥」  高海が白い歯を見せて笑う。僕は胸がきゅんと跳ねるのを感じた。なにときめいているんだ、僕の心臓。相手は高海だぞ。  人のために何かを作るなんて初めてだった。僕を気にかけてくれる高海の思いに応えるため、僕は二時間もかけてオムレツを作った。それを高海は美味しいと言って食べてくれた。僕は生まれて初めて、嬉しさで心がふわふわと飛んでいきそうな気持ちを味わった。この人のために、これからも家政部で頑張ろう。 「これからも頑張れな、遥」  思った矢先に心を読まれているようなことを言われ、僕はいつもの悪い癖で少しムッとした顔をしてしまうのであった。
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