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 それからというもの、僕は高海を徹底的に避けた。話しかけられないように、高海が目で僕を探しているなと思った時点で逃げる。体育の授業は具合が悪いと嘘をついて保健室に逃げ込み、ホームルームは机に突っ伏して寝てるふり。家政部もずっと行かなかった。  僕の恋、僕の青春は終わってしまった。僕が軽率に本音を言ってしまったことで。いや、そもそも同性の教師に恋愛感情を持ってしまった時点でもうだめだったのかもしれない。僕の心はまだまだ高海に未練があるけれど、自分から終わらせるんだ。高海と言葉を交わして、断られてしまったら本当に終わりだから。あの時追いかけてこなかった時点で、もう答えは決まっているようなものだ。それでも、高海の口から直接終わりを告げられてしまったら僕はきっともう二度と立ち直れない。高海は僕の真っ暗闇だった世界の、唯一の光だったから。もし本当に、完膚なきまでに終わってしまったら、僕はそれこそ死んでしまうことを選ぶかもしれない。僕は高海からも、現実からも逃げていた。それがそのときの自分を守る行動だったのだ。  自ら一人になることを選んだ僕だけれど、高海と触れ合って覚えた人の温もりは簡単に忘れることができなかった。僕は「寂しい」という感情を知ってしまった。その心の穴を埋めるため、僕は人を求めた。  ゲイ専用出会い系アプリで「彼氏」を作った。年齢は二十七歳前後、条件は、行為中「先生」と呼ばせてくれること。  「彼氏」とは完全に体だけの関係だった。僕の心は高海にあるからその「彼氏」を好きになることはなかった。「彼氏」の方も完全に遊びだと割り切っていることは分かっている。その方が変に執着されるより楽だった。僕は都合よく体を捧げ、向こうは「先生」として仮初の愛を囁いてくれる。ギブアンドテイクの関係だ。  一見冷たくドライな関係だけれど、僕は人から求められることが快感でもあった。そんな経験初めてだったから、ただ男の性欲に求められているだけだと分かっていても人に必要とされることは満更でもなかった。  性交渉の経験がなかった僕は、初めての性器を触れ合わせる行為に最初は戸惑ったが、思いの外すぐに慣れた。僕に覆い被さってくる「彼氏」を脳内で高海に変換して、「先生」と呼びながら行為に耽る。いけないことをしていると頭では分かっていたが、そのときだけは辛い現実を忘れることができるのだった。僕の体は淫らになり、すっかり行為にはまってしまった。僕にもあのあばずれの母の血が流れているんだな、と実感した。  ちなみに「彼氏」とは休日に私服で、学校や家から離れた街で会うので、以前のように学校にバレるということはなかった。  ある日の放課後。僕の足はやはり家政部には向かわずにいた。高海に見つかる前にとっとと家路に就こうと廊下を足早に進んでいると、僕の肩を後ろからぐいと掴む手があった。大きさ的に高海ではないけれど──目を見開き振り返る。その手の主は家政部の部長、里香子だった。 「遥、何やってんの。なんでずっと部活来ないのよ」  里香子に睨まれる。疾しい事情を抱えている僕は少し狼狽える。 「……君には関係ないだろ」 「部費、高海に立て替えてもらってるんでしょ。来なきゃダメでしょう。……もしかして高海と喧嘩したの?」 「別に、してないけど」 「部活さぼって、何してるの」  その問いには答えられなかった。年上のゲイとセックスしてますなんて言えるわけがなかった。  里香子の視線が真っ直ぐ僕を射抜く。僕はどうしようもなく居心地の悪さを感じた。里香子はなんて綺麗な目をしているんだろう。それに比べてこの僕は。こんなに汚れてしまって。心も、体も。 「……ごめん、急ぐから」  僕は嘘をついて、その場から逃げ出した。  家に帰って自室に籠った。ベッドの上で、胎児のように丸まりながら物思いに耽る。先程の里香子の目が忘れられなかった。やっぱりこんなことをしていてはダメだ。僕はどんどん汚れてしまう。里香子とも、高海とも目を合わせることすらできなくなってしまう。別の世界の人間になってしまう。今なら、まだ引き返せるだろうか──。  僕は弾かれたように起き上がると、机の上のスマホを手に取った。アプリを開き、「彼氏」に送るメッセージを打ち込みはじめた。 『すみません。勝手なことを言いますが、もう終わりにしたいです』  返事はわりとすぐに来た。 『そうなんだ。残念だけど仕方ない。最後にもう一度だけ会えないかな?』  自分勝手なことを言うのだし、けじめになるかとも思って、僕は最後にもう一度会うことを了承した。それが間違いだったことには、この時は気づけなかった。僕はなんだかんだ言っても、まだ純粋さが抜けきっていなかったんだ──。  最後に「彼氏」と会う約束をした日。いつもの待ち合わせ場所に行ってみると、「彼氏」の他にもう一人男性がいた。 「あの。そちらの彼は」僕が問うと、「ああ、僕の友達。君の話をしたらぜひ会いたいって言ってね。今日は三人でしよう」  今日は「彼氏」に最後に会うだけでセックスをするつもりがなかった僕は、セックスする流れと知らない男性に大いに戸惑ったが、いつの間にか二人に両脇を固められ、ホテルに連れ込まれてしまった。  ホテルの部屋に着くなりベッドの上に乱暴に放り出された。いつもは紳士的な「彼氏」だけれど、友達と一緒にいることで気が大きくなっているのかもしれないと思った。  友達の方が、いきなり僕の服を脱がしにかかってくる。僕にとっては知らない人なので恐怖を感じ、本能的に抵抗してしまう。「生意気なガキだな、クソッ」  「彼氏」に両腕を押さえ込まれる。友達の方が、ポケットから小さなピルケースのようなものを取り出した。中には毒々しい色の錠剤が入っている。これを飲まされたらやばい、と直感し、僕は口を引き結んだが、鼻をつままれて息ができなくなり、思わず口を開けてしまった瞬間に錠剤を押し込まれた。急いで吐き出そうとしたがその前にペットボトルのミネラルウォーターを流し込まれてしまった。  それからのことはよく覚えていない。見ている世界がグニャグニャと歪んでいて、多分無理矢理いろいろされたのだろうけど、体が熱くて気持ち悪くてそれどころではなかった。初めは無我夢中で抵抗していた気がするが、やがてその気力もなくなってしまった。頭がぼうっとして、男たちの声が遠く聞こえる。「おい、全然動かないじゃんこいつ」「焦点合ってないし。もしかして死んじゃうやつ?」「やばくね? 逃げるか」そんな言葉を薄れゆく意識の中で聞いていた。
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