おれの義妹は、風の中で石を積む

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『お前の妹を呼べ!――ボツ作を出せ、高野(たかの)』  社内内線で、いきなりこう言われて、高野直之(たかのなおゆき)は受話器をじっと見た。  だれがこんな訳の分からない電話をかけてきたのだろう?   電話のディスプレイを見ると、企画統括部からだ。  高野は、部下に書類を渡した。 「さっきの指示どおりに、直してくれ」  部下が行ってしまうと、あらためて電話を握りなおす。  相手が分かったから、今度は落ち着いて対応できる。電話の相手は、同期の飯山(いいやま)だ。 「飯山(いいやま)、おれにはボツ作のコレクションはないよ、どういう意味だ?」  高野はおだやかに尋ねた。  相手は数秒黙った。それから、 『ポータルサイトのロゴデザインの件だよ。お前の義妹のやつだ。 くわしいことを話すから、休憩スペースに来てくれ』  がちゃん、と電話は切れた。高野は静かに内線電話を置く。  企画統括部の飯山。社内ポータルサイトのロゴ。イラストレイターの義理の妹――これで話が分かった。  二カ月前にコンペで落ちた、義妹のロゴデザインの事だろう。  あれが、また企画統括部で話題になっているのか?  ――なぜ?  ガラスで仕切った休憩スペースには小さなベンチと自販機が二台置かれている。飯山は先に来ていた。 「手短に話すよ」 「ああ」 「あのポータルサイトのロゴ案、白紙になりそうなんだ」 「なぜ?」  自販機に百円玉を入れながら、高野は聞いた。 「あれは小川事務所がコンペを取っただろう」 「――それがな。ちょっとしたスキャンダルだ」  飯山はサッと周囲を見回し、声を落とした。 「小川が、SNSで炎上した」 「炎上?」 「付き合ってた女に不倫を暴露されたんだ。その……写真付きで」 「……最悪だな」  飯山はうなずいて、高野が差し出した缶コーヒーをためらいもなく取った。こういう時は遠慮がない男だ。ひとくち缶コーヒーを飲んで、続けた。 「俺は、プライベートと仕事は関係ないと思うんだが、上は別の判断だ。 社内用のポータルサイトとはいえ、問題があるなら変えたいというんだ――そこで、あらためてコンペをやり直すことになった」 「やり直しは、決定事項か?」  飯山は少しそそっかしいところがある。うかつに踊らされたくない。  だが、相手ははっきりとうなずいた。 「前回コンペで最終に残った四社だけでやる。お前、あのときちょっと不満そうだったな?」 「不満でもなかったが、とりたてて小川事務所の案が良かったわけじゃないからな」 「ま、そういうことだ。最終候補には、これから連絡が行く。前回のロゴ案を出してもいいし新作でもいい。 お前の義妹だ。よければ、俺が推すぜ。 じゃ、コーヒー、ごちそうさん」  飯山が行ってしまったあと、高野は考え込んだ。  義妹・翠(みどり)にとっては、いい話のように思える。  だが、ほんとうに、いい話だろうか――?  夜の高野家は、外から見るとやけに大きく見える。  三階建てだから広いうえに妻があちこちの照明をつけたがるので、大きく明るく見えるのだ。  ドアを開けて中へ入ると、たたきにグリーンのスニーカーが置いてあった。義妹の翠のものだ。  ちょうどいい、と直之は思った。  すぐにぱたぱたとスリッパの音がする。 「おかえりなさい」  妻の紫(ゆかり)がきて、直之(なおゆき)から、かばんをうけとる。 「翠がきているの。夕食、いっしょにしてもいい?」 「ああ」  直之が断ることはないが、それでも紫は聞く。習慣だろう。結婚して二十年がたつ夫婦は、習慣で出来あがっている。  着替えて食卓に座ると、夕食はアサリとベーコンの鍋だ。食べながら、直之は考え続けている。  デザインコンペの話を、翠にするかどうか。  いつもの直之なら迷わず話す。食事中でも話しているはずだ。だが今日に限って、ためらう気持ちがある。  ためらいの理由が分かるまで、黙っておこう、と直之は思った。  食事を済ませると、コーヒーとチョコレートが出てきた。  ソファに座り、チョコレートをつまみつつ、まだ考えている。  隣に座った妻が話しかけてきた。 「――なにか、あった?」 「ん? んん」  どうとでもとれる返事をすると、紫(ゆかり)はテーブルのスマホを取り、タップしてから差し出してきた。 「今日ね、面白い動画を見たの――ほら、これ」  見ると岩場らしき所に大きな石が置いてある。男性が出てきて、石を地面に立て、その上に小石をのせて積みあげようとしている。  当たり前だが、石は崩れる。  男性は何度も何度も石を変え、角度を変えて積みあげる。  そのたびに、崩れる。    早送りになっているからわずか数秒の動画だが、実際には一時間や二時間以上かかっているのだろう。何度も何度も、同じ作業を繰り返す。  根気の良さ。  集中力と丁寧さ。直之が見つめていると、妻が言う。 「角度のある石を積むなんて、ありえないでしょ。ムリよね」 「ムリそうに見えるが、でも――うん。積めたね」  画面では、不可解な安定で石が五つ積みあがっていた。  大きな縦長の石の上に小さな石、平らな石、小さな石、とがった石。奇跡のようなバランスで、風の中に石が立っていた。  その静謐な美しさに、直之は見入っていた。  ふと、妻に言う。 「今日な、翠ちゃんのデザインしたサイトロゴ、もう一度コンペに出さないかって言われたよ」 「もう一度?」 「コンペのやり直しなんだ。おれが頼めば、企画課が翠ちゃんを推してくれる。だがね」  と、直之はもう一度、動画を再生しながら言った。 「頼まないでおこう、と思う」 「――そうなの?」 「ああ。翠ちゃんはまだ、土台のしっかりしていない家だ。ここででかい仕事が入るのは、グラグラの一階に、二階と三階を無理に積みあげるみたいなものだと思う。 まだ早いんだよ」  ふふ、と紫は笑った。 「ふだんは甘いくせに、いざ、というときは厳しいことを言う。なんだか、本物の兄妹みたいね」 「そうかな」 「そうよ」  リビングでは、娘と義妹がテレビを見て笑い転げている。  直之はもう一度コーヒーを飲んで、言った。 「――そうか」  翌日、会社で飯山が再度やって来た。 「高野、あの話、どうする?」  部下の再提出した書類を持ったまま、高野直之は笑った。 「忖度は不要だ。駄作なら、落としてくれ。ダメならあきらめるまでだ」 「へえ、冷たいな」 「実力勝負だ。妹は、いけるところまで戦うだろうよ」  今はただ、風の中で石を積みなさい。  いつか、きちんとした三階建ての家を建てられるまで、ただ無心で、石を積むことだ。  がんばれよ。  きみは、おれの妹だから――翠。
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