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あの時、ロンドンに着いた私はすぐにホテルで荷物を下ろし、さっそく観光に出かけた。一時間ほどバスに揺られてグリニッジに行き、そこからさらに十五分揺られてエルサムパレスに到着した。
よく手入れされた庭を通り、お掘りの向こうに見るそのお屋敷は、レンガ造りで、落ち着いた雰囲気を醸していた。しかし内部は1930年にアールデコ風に改装されたとのことで美術館を思わせる気品ある空気に満ちている。それでいてクローゼットやベッドルームなどの存在が実際に貴族が住んでいたという現実感を想起させ、胸が高鳴る思いがした。私もいつかこんな家に……、という思いが沸き上がった。
心行くまで見学し、私は余韻に浸るべくグリニッジまで歩いて戻ることにした。しかし慣れない土地でぼんやり歩けばどうなるか、当然の帰結として私は迷った。気が付けば木々に囲まれている。焦って元の道に戻ろうとしてさらに訳が分からなくなった。しかし幸運にもそこにたどり着くことができたのだった。
私の目の前に真っ黒なカントリーハウスが建っていた。
黒色のレンガが曇り空によく映えている。しかし黒いのは外壁だけの話ではない、バルコニーの手摺から井戸の蓋板までが黒色に統一されているのだ。それ以外の色と言えば、エッジの部分に白いレンガが使われている程度である。ゴスロリのドレスにフリルが巻いてあるかのように見えた。イバラが壁を這い尖塔に向かって伸びているが、おそらく建てられてからまだあまり時間は経っていないだろう。エルサムパレスと比べたら『シック』というより『チープ』という感じすらする。
それでも私は不思議とその屋敷に強く惹かれた。『本物』を探しに来た私がどうしてこんな屋敷に惹かれたのかは分からない。私は何枚も写真を撮った。
するとその時、お屋敷の中から男が出てきた。
「何かご用ですか」
突然日本語で話かけられたので驚いた。男は若く、いかにも執事だという風のダークスーツを着ていて私の前に立ちはだかった。私は道に迷って偶然このお屋敷にたどり着いたということと、あまりにも素敵なお屋敷だったから写真を撮らせて貰っていたのだと弁明した。
彼は眉根一つ動かさずに聞き、申し訳ないが写真は控えて欲しいと言った。もし良かったら中を少し見せていただくことはできませんかと聞いてみたが、それも断られてしまった。
「ここは観光地ではなく個人所有の邸宅です。どうかお引き取り願いたい」
しかし彼はメモ帳を取り出しグリニッジまでの道のりを丁寧に描いてくれた。怖い人かと思ったけど優しい人で安心した。
道すがら、もう一度あのお屋敷を見ようと振り返った。彼はまだ門のところに立っていて、私は慌てて足を速めた。
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