向かないこと

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向かないこと

 初めてのアルバイト出勤日。  ネイルピアスが自由なだけでなく、長い髪も絶対結ばなければならないわけでもなく、本当に緩いパチンコ店なのだろう。  制服は青色のポロシャツに、黒のキュロット、女子は黒のハイソックスという至ってシンプルなものだった。  初めての今日は遅番で、16時20分までに店に着けばいい。私は16時10分に着けるように家を出た。  店の事務所に入ると、篠江主任が事務用の机に向かって腰掛けていて、今日から頑張ろうね、と声をかけてくれる。  ――声のトーンとは裏腹に意外と良い人なのかな。  とか思いながら、私はパイプ椅子に座った。 「高原葵です。よろしくお願いします」  すでに来ていた他のふたりに挨拶をする。 「佐藤です」 「紺野です」  まるでかわいらしい熊の人形みたいな愛らしさのある男性が佐藤さん、メガネに少しふくよかな人の良さそうな女性が紺野さんというらしい。 「わからないことはなんでも紺野に聞きなよ」  もうひとりのガリガリの男の人は前田というらしく、茶髪のパーマヘアだった。  いかにも仕事ができそうなふたりと、なんだかチャラそうな人と、初日を迎えた。 「今日は最初ホールを覚えてね。佐藤に付いて教えてもらって」 「わかりました」  ちら、と佐藤さんを見ると、黙ってたばこを吸っている。後でわかったことなのだが、佐藤さんは単に人見知りが激しい性格のようだった。  遅番が16時30分からで、時計がぴったりになるのと同時に事務所を出る。事務所と言っても3畳くらいのスペースで、3人が椅子を広げて座ればもう場所はなくなるくらいだ。  私は1番お客さんが多いレーンの脇に、佐藤さんと並んで早番の人と交代した。  アルバイトのときはメモ帳を持ってどんな些細なことも書く。そう経験してきた私がポケットからメモ帳とペンを出すと、佐藤さんが「メモを取るようなことは何ひとつないよ」と言う。  すると、お客さんが1番いる通路の上にあるランプが虹色に光った。  それを合図に佐藤さんはそちらの方向へ走っていく。  置いていかれないように私もついて行ってみれば、佐藤さんはお客さんが当てて出した球がぎゅうぎゅうに積まれた箱を床に積み上げていた。 「ホールの仕事は今の繰り返しだよ」 「箱を変えるだけでいいんですか……?」 「あとは球詰まりとか……でもそれは実際に直面しないと教えようがないから、言われたら呼んで」 「わかりました」  最初の休憩までに、私は、球がいっぱいになった箱を交換すること、球詰まりは台の上にあるパイプを少し揺すって流れを良くすること、釘の間に球が詰まったら手前の扉を鍵で開けて球を取り除くことを教えてもらった。  大抵はこのみっつの繰り返しのようで、他にアクシデントもなく最初の休憩になった。  休憩は5分間で、3回、1時間半ごとにあるらしい。  私は立ちっぱなし、そしてランプが光れば走る、重い箱をまるでスクワットをするかのように運ぶ、の連鎖で足がカチカチになり、椅子に座ってううんと伸びをした。  メールが来ていないかチェックする。スライド式の携帯電話を開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返している間に休憩時間が終わった。  篠江主任に、次はカウンターを覚えるように言われ、私は紺野さんと一緒にカウンターの仕事を覚えた。  カウンターはホールと違って、覚えることが山のようにあり、そして金銭の代わりとなる景品の授受もあったため慎重に仕事をした。  あっという間に閉店になり、お客さんがいなくなった店内は金属の音など消え、ガラリと変わり果てた。  ホールの佐藤さんと前田さんが掃除を始めるのと同時に、4人くらいおばさんたちが清掃に入ってくる。  私はと言うと、紺野さんと一緒に締め作業に入った。  景品がいくら出たか、お菓子やチョコはどのくらい交換されたか、洗剤、お米、ジュース、たばこ、いろいろ数を数えて記入したり、1円パチンコと4円パチンコ、スロットで分かれているのでそれをまとめたりと、ちんぷんかんぷんだったがとにかくメモに残し覚えようとした。 「わからなかったらここに全部あるから」  紺野さんは締め作業をひとつひとつ手順で書き起こしてあるボードを見せてくれて、この通りやれば大丈夫、と教えてくれた。  23時。  無事にすべての業務が終わり、家に着く頃には足が痛くて疲れ切っていた。  高校の時にしていたアルバイトも立ち仕事だったが、ここまで疲れるとは思わなかった。  次の日も遅番だったが、お風呂に入る気力もなく、――というか今からまた沸かさなければならないので――そのまま泥のように布団に吸い込まれ、眠りについた。
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